03月08日(金)、晴のち曇。午前中、地域の健康友の会の「ご苦労さん春の集い」(日頃のニュース配布活動などへの慰労会)があり参加。薬剤師さんから、健康食品やサプリメントの話を伺った。豪華な昼食弁当も出て、持ち帰って食べた。久しぶりに一般道でジョギング。
『時をかける台湾Y字路』(3章 タイムカプセル、ひらく)からの引用を続ける。著者の栖来ひかり氏は、「表記」について次のような解説をつける。
「表記について
・本書では、日本のメデイアで一般的に用いられる「先住民」のかわりに「原住民族」という名称を使用している。これは当事者である原住民族が「正名運動」という民主運動によって勝ち取った名称であることを尊重するものである。
・日本の植民地期について、台湾では「日治時代」「日據時代」とイデオロギーによってさまざまな呼称が用いられるが、最近は研究者の中でも「日本時代」が定着しつつある(当時の台湾人がそのように呼んだことから)状況をかんがみて、本書でも「日本時代」という呼称を使用している。」
※「據」は日本の新字体では「拠」で、日本が占拠していた時代の意。(引用者)
「(前半省略)長州出身でありながら唯一文官として台湾総督をつとめたのが、山口県防府市出身の上山満之進(かみやまみつのしん)だ。上山が第11代台湾総督に就任したのは1926年。それから約90年後の2015年に、大きな知らせが台湾美術界を駆け巡った。
台湾を代表する油絵画家・陳澄波(チエンツエンボー:ちんどうは)の行方不明になっていた作品『東台湾臨海道路(ひがしたいわんりんかいどうろ)』が山口県防府市の図書館の倉庫からみつかったというニュースだった。
じつはこの市立図書館、上山満之進が晩年に自身の蔵書と私費を投じて設立に寄与した「三哲(さんてつ)文庫」を前身とする。どうやら上山から寄贈されたなかに『東台湾臨海道路』も含まれており、移転や建て替えを経るうちに倉庫に仕舞われたまま長い間忘れられていたものが、偶然発見されたのだった。(作品は、次のアドレスで見られます。)
https://bijutsutecho.com/magazine/series/s5/10354
上山は台湾総督を退く際に、慰労金を二つのことに投じた。ひとつは台北帝国大学に依頼した原住民族研究、そしてもうひとつが油絵『東台湾臨海道路』の制作である。