01月26日(金)、曇。風が強い。が、雪は降らない、積もらない。午前中、歩いて地域周り。話題は、元日の地震の話。伺った家の被害は、ほとんどなかったが、皆さん精神的なショックが大きい様子。午後からは、ネットで申し込んでおいた「罹災証明書」発行の件で、市役所から数人の訪問もあった。
『台湾を愛した日本人 土木技師八田與一の生涯』の「15章 外代樹の死」からの引用を続ける。
「(前回からの続き)それまで、長い間思いつめ、耐え忍んで来たものが、堰を切ったように流れ出して外代樹を押し流そうとしていた。
9月1日未明、寝静まった子供たちに気付かれぬように起きた外代樹は、八田家の家紋入りの和服に身を包み、裾が乱れないようにモンペをはき終えると、これまでに書きしたためた手紙を取り出し、机の上に置いた。幼い二人の娘が、不憫に思われた。
一枚の便箋を取り出すと、
「玲子も成子も大きくなったのだから、兄弟姉妹仲良く暮らしてください」
と書き残した。
そっと家を抜け出した外代樹は、夫の終生の事業だった烏山頭ダムの放水口へ急ぎ、渦巻く水の中へ身を躍らせ、夫の後を追ったのである。
外代樹が身を投げたこの日は、丁度25年前、嘉南大?(かなんたいしゅう)が起工された日であった。
享年45歳であった。
朝早く目を覚ました玲子と成子は、母のいないことに気付くと、数通の封書と一枚の便箋が置かれているのを見つけた。
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