04月12日(金)、晴。昨日、桜の満開日(新潟市)と発表されたが、昨年より11日遅かったとか。何の影響か。今日の朝刊で知った。
『大鳥圭介』(星亮一著)から、大鳥圭介の「適塾」後から「坪井塾」入学の経緯をみる。
「当時は外出する際、羽織を着て、刀ぐらい差さなければならない。しかし、羽織を持っていたのは10人に1人、刀もそんなもので、皆質屋に入っていた。だから外出するときは、それを借りて順番に出かけた。
外に出ると喧嘩はしょっちゅうだった。「緒方の書生は暴れ者が多い」と近所から嫌われていた。こんなことをしているうちに瞬く間に2年半が過ぎた。
医者のことは何も分からない。これでは国に帰っても家業を継ぐことは不可能である。家から帰国を求めて矢の催促である。「困った、困った」と大鳥は悩んだ。幸い仕送りを貯めていたので、若干の金はあった。江戸には西洋医の塾があるという。ここは江戸に出るしかないのだが、貯めた金は微々たるものである。
だが親には江戸に出て勉強するとは言えない。そこで帰国するから書籍や土産代を送ってほしいと父親に手紙を出した。親はありがたいものである。家から送られてきた金子(きんす)4両を手にした大鳥は、嘉永7年8月18日、意気揚々と大坂をでて京都伏見を回り、9月5日、江戸に到着した。
早速、家へのお詫びの手紙を出し、何軒か塾を見て歩き、蘭方医の坪井忠益の塾に入門した。忠益は原書を読むことができ、2、30人の弟子を抱えていた。」(前掲書、p11〜12)
「坪井忠益」の名前については、複雑な事情があるようだ。「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」によると、「坪井為春 つぼい-いしゅん」とあり、次のような解説がある。
「1824−1886 幕末-明治時代の医師。