03月21日(木)、曇のち晴。朝方、雪。屋根や道路がうっすらと雪に覆われた。寒い。午前中、地域読書会。課題図書は、『良寛を歩く』(水上勉著、集英社文庫他)。わたしが提案した著作だが、参加者から総じて「おもしろかった」という感想が出た。午後は、歩いて地域周り。10000歩を超えた。
栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテイテイ」は、骨董店KのC社長の話から始まっている。引用の後先を間違えた感があるが、最初の方を引用する。台湾のアイデンテイテイに関わるおもしろい部分ではある。
「「小故宮」と呼ばれた骨董店
骨董店KのC社長は台中の生まれである。生まれ年は1928(昭和3)年で、わたしの祖母と同じなのでよく覚えている。
社長の実家が台湾でよく知られる財閥にもつらなる名家で、出入りの骨董屋がおり、何人もいる兄たちが買ったあとの売れ残りを社長が蒐集しはじめたのが8歳のころというから、昔の台湾の金持ちというのがどんなだったかわかる。
17歳で終戦を迎えたC社長の母語は台湾語と日本語である。26歳で日本へと渡り、某有名電機会社のライセンスを得て機械製品の台湾輸入を手掛けるようになった。台湾もちょうど経済成長期に入ったところで日本から多くの技術や製品を輸入したが、その役割を担ったのが、戦前に日本語教育を受けて日本語を自在にあやつれる、いわゆる台湾の日本語世代だった。
逆に、日本で新たな商売を興したり発明をした台湾人も少なくない。コインランドリーやビジネスホテルを日本で最初にビジネスにしたのは「金儲けの神様」と呼ばれた直木賞作家の邱永漢といわれているし、チキンラーメンに代表されるインスタントラーメンも、日清の創業者である安藤百福ら台湾系華僑たちの発明という。戦後、1972年に国交の途絶えてしまった日本と台湾だが、それでも深く長らく今まで結びついてこられたのは、彼ら台湾華僑の存在に拠るところも大きいだろう。(続く)」(前掲書、p196〜197)
(写真)今日の課題図書と会場に持ち込まれた花。
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