04月17日(水)、晴。そんなに暑くもなく、春らしい陽気が戻って来た。桜は、一気に散り始めた。
「大鳥圭介」を検索すると、大鳥の郷土・上郡町(かみごおりまち)では、「日本近代化のパイオニア」として、いろんな情報を発信している。『大鳥圭介』(星亮一著)から、引用を続ける。
「(前回の続き)幕府は旧態依然たる政治をしていたと見られがちだが、安政期の改革では造船所の建設、海軍の創設、台場築造、講武所の創設、洋式訓練の開始、蕃書調所(しらべしょ)の創設と目覚ましいものがあった。これは近代的な陸海軍の創設につながるものだった。
大鳥もこうした軍政改革の渦中に巻きこまれた。外国船もどんどんやってくる。各大名の家来が小銃を手に調練するようになった。大小銃を拵(こしら)えるところもあり、台場を築くことも盛んになった。皆、それを調べてくれという。やって見ると面白い。懐も暖かくなる。
そんなわけで大鳥もだんだん兵書にのめりこみ、医学書と疎遠になってしまい、江川塾に出かけることが多くなった。江川のところには大きな調練所があって、諸藩の兵が来て、毎日ドンドコドンドコと太鼓を叩き、築城の図面を引くといった具合だった。
このころ、安政の大地震も体験した。安政2年(1855)10月2日の夜のことである。
この日、たまには肉を食いたいと、坪井塾の書生一同と、浜松町に近い金杉橋のたもとにある豚肉の店に出かけた。豚肉をたらふく食べて一杯飲むのが、たまらない楽しみだった。大鳥は結構飲めるクチだった。食べて飲んで、いい気持ちになって8時ごろに2階に上がって寝た。
その夜半にガタガタと揺れて天井板が落ちてきた。「地震だ、地震だ」と階段を駆け下りると、途中で壁に頭をぶつけた。気が張っているので、別に痛くもなかった。ところが玄関の戸がなかなか開かない。やっと外に出ると大変な騒ぎだった。