03月28日(木)、晴。天気予報どおり。気温がグーンと上がるとか。毎日、新聞朝刊で天気や温度のチエックをするのだが、昨日の天気は「不明」とある。これは、気象台の人による「目視」がなくなった(数日前の新聞のニュースで知った)せいだろうか。昨日は、午後から晴れたから、「曇時々晴」か。実は、昨日夕方、西総合スポーツセンターのトリムコースでジョギングをした。12500歩。久しぶりなので、5キロを2回に分けて走った。
今日は、地域周りボランテイア。+散歩コースを歩いて、9600歩。写真のような土の道が整備されていることに感謝。海のそば。
栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテイテイ」の引用を続ける。
「1900年代はじめ、パリのエコール・デ・ボザールで教鞭を取ったラフアエル・コランは、印象派の影響を受けた柔らかい光のなかの裸婦像を多く手がけて「外光派」と呼ばれ、黒田清輝をはじめ、和田英作や岡田三郎助など多くの日本人画学生を指導した。はじめは師の画風の模写からから油絵を学んだ日本人画家たちは、同じような風景の構図やタッチを用いながらも、モチーフを日本的なものに変えることで、西洋から換骨奪胎された「日本人」の油絵をめざすようになる。
黒田清輝を代表する作品『湖畔』でも、背景の湖の描きかただけでいえば西洋か日本かどこなのかわからないけれど、柔らかい光線で画面に描かれた女性が結髪に浴衣姿でうちわをあおいでいることで、作品は突如「日本」的な輪郭をもつ。
こうして、西洋から輸入された筆法や構図のなかに日本的なモチーフをどのように入れ込んでいくか、そのモチーフと自己との距離が日本における近代絵画のなかの大きなテーマとなったが、それは「日本的とはなにか」を再規定するナショナルな試みでもあった。またそこには、西欧に求められているエキゾチックでオリエンタルな需要に応えたいという、健気なサービス精神もあったかもしれない。(No.2617に続く)」(前掲書、p202〜203)
後先が逆になってしまったが、以上で、日本と台湾の美術を通して、台湾アイデンテイテイについて述べた、栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章の引用は終わる。全文引用したのは、著者の意図を損ねないためである。短くまとめると、そういうことになりかねないので、全文を載せた。とても興味深かった。
台湾への興味関心がとまらない(『台湾を愛した日本人?―台湾農業を変えた磯永吉&末永仁物語―』〈古川勝三著〉)を図書館から借りて読み始めた)が、メインテーマに挟めて、少しずつ「間話」で綴ってみたい。
(写真)上:今日の散歩コース。下:あちこちで水仙の花が開いている。