03月06日(水)、曇時々小雨。寒い。「三寒四温」「一月往ぬる二月逃げる三月去る」などのことばが頭を駆け巡る。
確か、このブログで取り上げた「八田與一」は、映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」を見て、初めて認識した。レンタルショップでビデオを借り、2回ほど見た。https://www.youtube.com/watch?v=guw5-QXmZm0
大沢たかおが八田與一を演じていた。嘉義農林学校(今は嘉義大学?)」の存在も初めて知った。『時をかける台湾Y字路』からの引用を続ける。 (写真)現在の嘉義駅。昨年5月撮影。
「(前半省略)「華山1914」は、1914(大正3)年に建設された酒造工場の跡地を再開発した文化公園で、ライブハウスやレストランのほか、ギャラリーや展示場・バーに書店など台湾の多様な文化的発信地として重要な役割を担っている。
2019年の春には日本のミュージシャン・細野晴臣氏のライブが開催され、台湾でホンモノの細野さんが「ChooChooがたごと♪」と唄ったり弾いたりしているのをみることができるなんて10年前には夢にも思わなかったので感激しきりであった。
2014年の秋に行われた俳優・永瀬正敏さんの写真展も、印象に残っている。日本時代、甲子園に初出場・準優勝した嘉義農林高校の物語を描いた台湾映画『KANO』(監督:馬志翔〈マーヂーシアン/2014年〉の大ヒットで、永瀬氏は台湾で最も知られる日本人俳優のひとりとなったが、じつは永瀬氏と台湾のつながりは深く、エドワード・ヤン監督の『クーリンチエ少年殺人事件』にも出演していた(しかし出演シーンは本編ではカット)ことはあまり知られていない。
華山1914で開かれた写真展も映画『KANO』をテーマにした展覧会だったが、たまさか不思議な予期せぬ一致があった。
会場となった酒蔵が増築されたのが1931年。奇しくもKANOチームが甲子園初出場で準優勝という快挙を成し遂げたのと同じ年だというのだ。展覧会が始まってから明かされた偶然ということで、縁というものを感じずにはいられなかった。
縁といえば、夏の甲子園大会は2018年に第100回を迎えた。その際に、決勝へと進出したのが秋田県の金足農業で、農業系高校の決勝進出は嘉義農林以来83大会ぶりであったという。金足農業のエース・吉田輝星投手の着用しているユニフオームの胸には「KANO」ならぬ「KANANO」という文字が光っていたが、その日は奇しくも1931年8月21日に嘉義農林と中京商業が決勝マウンドで戦ったのと同じ日、しかも当時の中京商業のエースも吉田投手だったのである。