03月22日(金)、晴時々曇。空気は冷たい。陽がさす午前中、昨日に引き続き、地域周り。角田山の雪割草が咲き始めましたよ、などの情報も伝えた。軒数が少ないので、6000歩。引き続き、海岸沿いの散歩コースを歩く。合計11000歩。近くの小学校は、卒業式。それらしき親子連れの歩く姿が多く見られた。その後、市の図書館に行き、7冊(今紹介している本も)返却し、4冊借りた。
栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテイテイ」の引用を続ける。
「(前回からの続き)戦後すぐに蒋介石が中国から台湾へと持ち込んだ台北の故宮博物館の美術品がおよそ70万件ということを思えば、社長が買い貯めた量が半端ではないのがわかる。だから当時は、台北の故宮博物館にも負けないほどの優品を所有したこともあったが、それについて社長はこんなことをいっていた。「所有したというより、自分の手のうえを通り過ぎていったという感じだったねえ」。
それから何年も経ち、C夫妻はおびただしい美術品とともに故郷の台湾へと戻ってきた。戻ることになった事情はよくわからない。幼いころから食べなれた台湾の味が、恋しかったせいかもしれない。夫妻は台北郊外の別荘地で博物館のように大きく壮麗な骨董店Kを構え、「小故宮」とあだ名された。
台湾アイデンテテイーの模索
奥さんのC太太とのご縁で、わたしがKの台北支店でいっとき働かせてもらったのは、C社長がすでに高齢になってからである。C社長は車いすに乗って店にみえたので、そばへ行って日本語でいろんなことを教えてもらった。掛け軸の巻き方や、陶器の扱いかた。漢字ではものを売ることを「賣(マイ)」というが、その漢字を分解してみると「四」+「貝」、つまり物を仕入れて売るにはおおよそ原価の4倍の値段をつけるものだとそのときに習ったが、実際にそれで商売がいくのかは知らない。
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