03月05日(火)、曇。朝方だけ陽が射した。啓蟄(けいちつ):24節気の一。冬ごもりの虫が地中からはい出るころ。太陽暦で3月6日ころ。「啓蟄をくわ(漢字:変換できず)へて雀飛びにけり/川端茅舎」(デジタル大辞泉より)。寒い。啓蟄の時期にはほど遠い。
昨年、台湾嘉義市に数日滞在した。日本時代、甲子園に初出場・準優勝した嘉義農林高校の物語を描いた台湾映画『KANO』に関係するところを見た。そして、嘉義が生んだ偉大な画家「陳澄波(チエンツエンボー:ちんどうは)」の作品もたくさん鑑賞した。
(写真)映画『KANO』、呉明捷投手像。嘉義市内。昨年5月撮影。
その関連もあって、この著書を取り上げたのだが、方向がそれた。次回から、軌道を修正したい。。中国(台湾)語の発音のカタカナがあると読みにくいのだが、勉強をかねてカタカナをふっている。『時をかける台湾Y字路』からの引用を続ける。
「日本時代には、現在の総統府から市政府に向かって堀川の橋を渡れば、その先には小さな通りしかなかった。つまり橋の東側に大きな道路はまだなかったので、台湾青春映画の金字塔『藍色夏恋(あいいろなつこい)』でチエン・ボーリンとグイ・ルンメイが自転車で疾走する大王椰子(だいおうやし)の並木道なるうつくしいあの通りは、戦後にあたらしく開けた道ということになる。
堀川(今の新生南路)を渡ると、仁愛路の東角は警察署(大安分局:ダーアンフエンジュイ)になっているが、その隣に最近まで、日本時代末期に建てられたと思われる古い木造の平家があった。
あの時代らしく和洋折衷の、緑とオレンジの入り混じった瓦屋根、白い壁には緑の木枠の窓がはめこまれた瀟洒(しょうしゃ)な家で、長いあいだだれも住んでいないようだった。まわりは次々と新しいビルに建て替わっているのに、そこだけが無人にもかかわらずポツンと残されているのがいかにもいわくありげで、調べてみると台湾でも十指にはいる鬼屋(グェイウー:おばけやしき)だという。
なんでも、取り壊しの計画があるたびに事故やらなんやらが重なるとか、好奇心から忍び込んだ若者たちの写真に何かしら写りこむとか、いろんな噂があった。
屋敷の正面には蓮霧(レンブ)の大木があり、実りの季節になるときまってツヤツヤと青くちいさな蓮霧の実を大量に歩道へ落とした。通りがかりに踏んづけてしまったときのグシャリという感触は、なんとも気味がわるかった。(以下略、次回へ)」(p100〜101)
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