02月02日(金)、曇時々小雪。朝、うっすらと屋根や庭に雪が積もっていた。午前中、近くの自治会館で、ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜』の上映会があったので、参加。『ぼけますから、よろしくお願いします。』の続編である。
前回も感じたが、生きることの「凄まじさ」のようなものを感じて、感動する。
https://www.youtube.com/watch?v=e8zVy9SCvNU
『台湾を愛した日本人 土木技師八田與一の生涯』の「15章 外代樹の死」からの引用を続ける。
「(前回からの続き)留用者以外の日本人最終引き揚げ船が、基隆港を離れたのは4月25日で、わずか2カ月足らずの短期間に40万人を超える引き揚げが、ほとんど双方に問題も起こさず実施された例は、世界でも希であった。
一方で、台湾省行政府は官公庁の接収を開始していた。嘉南大?水利組合も、昭和21年2月13日に接収された。しかし、水利組合の接収は、受益者が台湾人であるためか、行政府による直接接収は行われず、接収は台湾人にまかされたので混乱もなく実施された。
台湾人技術者と日本技師による嘉南大?を守るための会議が、連日行われた。中島力男、柴田一郎、赤堀信一、それに伊藤、柳原、入江、大城の技師たちが留用されて、三年輪作給水法による維持管理方法について指導を行なった。
(写真)八田記念公園での外代樹銅像除幕式の様子。『八田外代樹の生涯』より。
ところが、日本人の引き揚げと戦後の混乱によって、嘉南大?の多くの施設の管理、監督が十分でなくなり、勝手に水門を開閉して、自分の都合のよいように水を調整する者が、いたる所に現れた
水路の上流でこれをされ...