03月19日(火)、晴のち曇。陽射しが戻ってきたが、長続きしない。そして、思ったような暖かさが戻ってこない。が、先日(16・土曜)、雪割草を見に、角田山へ行った。いろいろあり、忙しく、宮前コースの5合目まで行って帰ってきたが、雪割草を何度か鑑賞することができた。
栖来ひかり氏が「Y字路」という発想を得たのは、横尾忠則氏の影響である。次のように書いている。
「Y字路の定義とはなんだろう。
まずは言葉どおり「Y」のかたちをした三叉路のことであるだろう。
この言葉を発明したのが、わたしの敬愛するアーテイストの横尾忠則氏ということも自明である。横尾氏の代表作「Y字路シリーズ」は、氏の故郷のY字路風景を起点として、さまざまなY字路風景に過去・現在・未来・空想・現実の表象を描きこんだ、魅惑的な絵画シリーズだ。絵画だけでなく、雑誌『東京人』で連載された写真シリーズもある。わたしが本書を上梓できたのも、Y字路という概念を生み育てた横尾氏のおかげなので、まずは横尾忠則さんに心からの感謝と尊敬の念をおくりたいと思う。」(p243、あとがき)
『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテテイーを探して」の引用を続ける。
「(前回からの続き)それは原住民族のうつくしい首飾りやトンボ玉から、清朝政府より台湾に送りこまれた官僚や知識人の作品、石川欽一郎、塩月桃甫(しおつきとうほ)、立石鉄臣、といった台湾で活躍した日本人画家、そして藍蔭鼎(ランインデイン)、郭雪湖(グオンシュエフー)、林之助(リンヂーヂュ)など多くの台湾人画家たちにまつわる作品など。有名無名にかかわらず多岐にわたった。C社長が亡くなったいまも、それら「台湾文献」のコレクションを観るため、台湾の若き美術研究者たちは日々K店に足を運んでいる。
台北市の辛亥路(シンハイルー)にある第二殯館(デイーアービングアン)で行われたC社長のお葬式は、それはそれは盛大なものだった。李登輝(リーデンフエイ)元総統はじめ、馬英九元総統、王金平(ワンジンピン、元行政長官)、謝長廷(シエチャンテイン、現駐日大使)など、台湾のいわゆるブルーやグリーンという党派をこえて錚々たる顔ぶれから贈られた垂れ幕が、四方の壁を取り囲んでいたのに眼をみはった。
日本風に青竹でしつらえた厳かな祭壇のうえに白い花で囲まれたC社長のおだやかな顔。それをみながらわたしは、そういえばC社長がいちばん好きだったのは日清「どん兵衛」のきつねうどんだったなあ、なんてことを思いだしていた。」(前掲書、p208〜209)(つづく)