04月03日(水)、曇時々晴。「整理整頓物事のはじめなり」。整理整頓が苦手である。幸い、記録をつける習慣(今は手帳)があるので、過去を振り返ることができる。朝の台湾・花蓮を震源とする地震には驚いた。
最近、和田秀樹氏の本を読み続けている(と前回に書いた)。「精神安定剤」のような役割を果たしている。最初に読んだのは、『80歳の壁』(和田秀樹著、幻冬舎新書、2022年3月15日、第1刷(9刷)発行、226頁)。ベストセラーになるわけを知りたかったし、ブームが去って、図書館からすぐに借りられるようになったから。※読まれたのは、「日本医学界への批判のあらわれ」(著者本人も言っている)か。
そして、『六十代と七十代 心と体の整え方・良く生きるために読む高年世代の生活学』(バジリコ社、2020年6月25日初版第1刷発行、209頁)『70歳が老化の分かれ道・若さを持続する人、一気に衰える人の違い』『60代からの見た目の壁』『老害の壁』(エクスナレッジ、2022年11月17日 初版第1刷発行、191頁)。『80歳の壁[実践編]』を昨日借りた。
まず、大鳥圭介のプロフイールを「資料集成」から見る。
「大鳥圭介(1832〜1911)旧幕臣。播磨國(兵庫県)の町医者の子。備前閑谷黌(しずたにこう)に学んだあと大坂の適塾(緒方塾)で蘭学を修め、57年(安政4年)江戸へ出て江川塾の万次郎について英語を学んだ。66年(慶応2年)旗本になり、開成所教授を経て歩兵差図役頭取となる。
(写真)江川塾時代の大鳥圭介、星氏の著作より。
68年(慶応4年)江戸開城を不満として脱走後、箱館に逃れて榎本武揚らと共に官軍に反旗を翻した。その後降伏し監禁されるが、後許されて新政府に出仕、工部大学長、学習院長、華族女学校長などを歴任し、晩年は枢密顧問官。
※適塾:緒方洪庵の主宰した蘭学塾。適々塾、適々斉塾ともいう。」
前に取り上げた榎本武揚より4歳年上で、3年榎本より長生きした。二人とも、幕府と新政府、「二君にまみえ」た。
どんな人物だったのか、星 亮一著『大鳥圭介』(中公新書、2011年発行)を元に紹介してみたい。