01月25日(木)、曇時々小雪。風も強いし、気温も昨日より低い。天気(雪)に閉じ込められた生活だ。午後は、牡丹雪の舞う中、地域周りで出かけたが。
他人の著作を書き写していると、前に読んだ時、気づかなかったことに気づくことがある。取り上げている『台湾を愛した日本人 土木技師八田與一の生涯』の「15章 外代樹の死」では、「外代樹の心情」が「自死」向かっているのではないか、と思わせるところがある、ことである。
前回引用の最後の部分「二重のショックを受けた」や今回引用の「母親の表情が暗くなり、口数が少なくなって」などである。引用を続ける。
「外代樹にとって台湾は結婚した土地であり、夫の血と汗の結晶である嘉南大?が広がる土地であり、何よりも夫の愛した土地だった。
外代樹は、そんな台湾が、烏山頭が好きだった。去りたくなかった。
先のことを考えると真っ暗闇だった。海軍に志願した長男のこと、学徒動員に行ったままの次男のことも不明であった。
戦争が終わったことは嬉しかったが、何をすればよいか分からなかった。絶望が外代樹を襲った。虚脱感が充満していた。
浩子は、夫が除隊になったので、台北へ帰っていった。
外代樹と一緒に残った玲子と成子は、母親の表情が暗くなり、口数が少なくなってゆくことが辛かった。
これまでのような明るい優しい母の姿が消えかけていた。聞いても生返事をすることが多くなった。
(写真)毎年5月8日の命日に行われる八田夫妻の墓前祭の様子。
子供達が台北へ帰る準備を始めたが、外代樹は手伝う気にもなれなかった。
机に向かって、手紙を書く日が多くなった。敗戦から2週間経った8月31日の夕方、学徒兵として入隊していた泰雄がひょっこりと烏山頭の家に帰って来た。