鴻(こう)はみだれて雲にかくれ、柳桃(りゅうとう)は風に騒いで江岸の春を晦(くろ)うした。
舳艫をそろえて、溯江(そこう)する兵帆何百艘、飛報は早くも、
「たいへん!」
と、江夏に急を告げ、また急を告げてゆく。
黄祖の驚きはひと通りではない。
が、――先に勝った覚えがある。
「呉人の青二才ども、何するものぞ」
蘇飛を大将として、陳就を先鋒として、江上に迎撃すべく、兵船をおし出し、準備おさおさ怠りない。
大江の波は立ち騒いだ。 呉軍は、の水面をおもむろに制圧し、市街の湾口へとつめてきた。
守備軍は、小舟をあつめて、江岸一帯に、舟の砦を作り、大小の弩弓(どきゅう)をかけつらね、一せいに射かけてきた。
呉の船は、さんざん射立てられ、各船、進路を乱して逃げまどうと、水底には縦横に大索(おおなわ)を張りめぐらしてあることとて、櫓を奪われ、舵を折り、
「大勢、ふたたび不利か」と、一時は、周瑜をして、眉をくもらせたほどだった。
時に、甘寧は、
「いで。これからだ」と、董襲にもうながし、かねてしめし合わせておいたとおり、決死、敵前に駆け上がるべく、合図の旗を檣頭(しょうとう)にかかげた。 百余艘の早舟は、たちまち、江上に下ろされて、それに二十人、三十人と、死をものともせぬ兵が飛びのった。
波間にとどろく金鼓、喊声につれて、決死の早舟隊は、無二無三、陸へ迫ってゆく。
或る者は、水中の張り綱を切りながし、或る者は、氷雨と飛んでくる矢を払い、また、舳(みよし)に突っ立った弓手は、眼をふさいで、陸上の敵へ、射返して進んで行った。
「防げ」
「陸へ上げるな」
敵の小舟も、揉みに揉む。 そして、火を投げ、油をふりかけてくる。
白波は、天に吼え、血は大江を夕空の如く染めた。
黄祖の先鋒の大将、陳就は岸へとび上がって、
「残念、舟手の先陣は、破られたか。二陣、陸(くが)の柵をかためろ」
声をからして、左右の郎党に下知しているのを、呂蒙が見つけて、
「うごくなっ」と、近づいた。
岸へとび上がるやいな、槍をふるって突きかけた。――陳就は、あわてて、
「やっ、呉の呂蒙か」と、剣をふるって、防ぎながら、
「気をつけろ。もう敵は上陸(あが)っているぞ」
と、部下へ注意しながら逃げ惑った。
こうまで早く、敵が陸地に迫っていようとは思っていなかったらしい。呂蒙は、
「おのれ、名を惜しまぬか」
と、陳就を追って、うしろから一槍を見舞い、その仆れたのを見ると、大剣を抜いて、首をあげた。
舟手の崩滅を救わんものと、大将の蘇飛は、江岸まで馬をすすめてきた。――それと見た呉軍の将士は、
「われこそ」と、功にはやって、蘇飛(そひ)のまわりへむらがり寄ったが、燈(ひ)にとびつく夏の虫のように、彼のまわりに、死屍を積みかさねるばかりだった。
すると、呉の一将に、潘璋(はんしょう)という剛の者があった。立ち騒ぐ敵味方のあいだを駆けぬけ、真っ直ぐに、蘇飛のそばへ近づいて行ったかと思うと、馬上のまま引っ組んで、さすがの蘇飛をも自由に働かせず、鞍脇にかかえて、たちまち、味方の船まで帰ってきた。
そして、孫権に献じると、孫権は眼をいからして、蘇飛を睨みつけ、
「以前、わが父孫堅を殺した敵将はこいつだ。すぐ斬るのは惜しい。黄祖の首と二つ並べて、凱旋ののち父の墓を祭ろう。檻車(かんしゃ)へほうりこんで本国へさし立てろ」と、いって、部下に預けた。
呉はここに、陸海軍とも大勝を博したので、勢いに乗って、水陸から敵の本城へ攻めよせた。
さしも長い年月、ここに、
『江夏の黄祖あり』
と誇っていた地盤も、いまは痕(あと)かたもなく呉軍の蹂躙(じゅうりん)するところとなった。
城下に迫ると、この土地の案内に誰よりもくわしい甘寧は、まッ先に駆け入って、
「黄祖の首を、余人の手に渡しては恥辱だ」と、血まなこになっていた。
西門、南門には、味方が押しよせているが、誰もまだ東門には迫っていない。黄祖はおそらくこの道から逃げだして来るだろうと、門外数里の外に待ち伏せていた。
やがて、江夏城の上に、黒煙があがり、望閣楼殿すべて焔と化した頃、大将黄祖は、さんざん討ちくずされて、部下わずか二十騎ばかりに守られながら東門から駆けだして来た。
すると、道の傍らから鉄甲五、六騎ばかり、不意に黄祖の横へ喚きかかった。甘寧は先手を取られて
「誰か?」と見ると、それは呉の宿将程普とその家臣たちであった。
程普が、きょうの戦いに、深く期して、黄祖の首を狙っていたのは当然である。
黄祖のために、むなしく遠征の途において敗死した孫堅以来、二代孫策、そしていま三代の孫権に仕えて、歴代、武勇に負(ひ)けをとらない呉の宿将として――
「きょうこそは」と、晴れがましく、故主の復讐を祈念していたことであろう。
けれど、甘寧としても、指をくわえて見てはいられない。
出遅れたので、彼はあわてて、腰なる鉄弓をつかみとり、一矢をつがえて、ちょうッと放った。
矢は、見事に、黄祖の背を射た。――どうと黄祖が馬から落ちたのを見ると、
「射止めた! 敵将黄祖を討った!」
と、どなりながら駆け寄って、程普とともに、その首を挙げた。
江夏占領の後、二人は揃って黄祖の首を孫権の前に献じた。
孫権は、首を地になげうって、
「わが父、孫堅を殺した仇。匣(はこ)にいれて、本国へ送れ。蘇飛の首と二つそろえて、父の墳墓を祭るであろう」と、罵った。
諸軍には、恩賞をわかち、彼も本国へひき揚げることになったが、その際、孫権は、
「甘寧の功は大きい。都尉に封(ほう)じてやろう」といい、また江夏の城へ兵若干をのこして、守備にあてようとはかった。
すると、張昭が、「それは、策を得たものではありません」と、再考をうながして、
「この小城一つ保守するため、兵をのこしておくと、後々まで、固執せねばならなくなります。しかも長くは維持できません。――むしろ思い切りよく捨てて帰れば劉表がかならず、兵を入れて、黄祖の仕返しを計ってきましょう。それをまた討って、敵の雪崩れに乗じて、荊州まで攻め入れば、荊州に入るにも入りやすく、この辺の地勢や要害は味方の経験ずみですから二度でも三度でも、破るに難いことはありますまい」
と、江夏を囮(おとり)として劉表を誘うという一計を案出して語った。
「至極、妙だ」
孫権も、賛成して、占領地はすべて放棄するに決し、総軍、凱歌を兵船に盛って、きれいに呉の本国へ還ってしまった。(197話)
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