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  三国志(202) 孔明の徳     
2024-01-31 04:35:28


 さしもの夏侯惇も、渓川(たにがわ)におちて死ぬものやら、馬に踏まれて落命するなど、おびただしい味方の死傷を見ては、ひっ返して、趙雲に出会う勇気もなかったらしい。
 「馬に頼るな。馬を捨てて、水に従って逃げ落ちよ」
 と、味方に教えながら、自身も徒歩となって、身一つを遁れだすのがようやくであった。
 後陣にいた李典は、
 「さてこそ」
 と前方の火光を見て、急に救いに出ようとしたが、突如、前に関羽の一軍があって道をふさぎ、退いて、博望坡の兵糧隊を守ろうとすれば、そこにはすでに、玄徳の麾下(きか)張飛が迫って、輜重(しちょう)をことごとく焼き払ったあげく、
 「火の網の中にある敵、一匹ものがすな」と、後方から挟撃してきた。
 討たるる者、焼け死ぬ者、数知れなかった。夏侯惇、于禁、李典などの諸将は輜重の車まで焼かれたのをながめて、
 「もう、いかん」と、峰越しに逃げのびたが、夏侯蘭は張飛に出会って、その首を掻かれ、護軍韓浩(かんこう)は、炎の林に追いこまれて、全身、大火傷を負ってしまった。
 戦は暁になってやんだ。山は焼け、渓水(たにみず)は死屍(しし)で埋もれ、悽愴な余燼(よじん)のなかに、関羽、張飛は軍をおさめて、意気揚々、ゆうべの戦果を見まわっていた。
 「敵の死骸は、三万をこえている。この分では無事に逃げた兵は、半分もないだろう」
 「まず、全滅に近い」
 「幸先よしだ。兵糧その他、戦利品も莫大な数にのぼろう。かかる大捷(たいしょう)を博したのも、日頃の鍛錬があればこそ――やはり平常が大事だな」
 「それもあるが……」と、関羽は口をにごらしながら、駒を並べている張飛の顔を見て云った。
 「この作戦は、一に孔明の指揮に出たものであるから、彼の功は否みがたい」
 「むむ。……計(はかりごと)は、図にあたった。彼奴も、ちょっぴり、味をやりおる」
 張飛は幾らかの負け惜しみを残していたが、内心では、孔明の智謀を認めない訳にはゆかなかった。
 やがて、戦場をうしろに、新野のほうへ引きあげて行くと、彼方から一輌の車をおし、簇擁(ぞくよう)として、騎馬軍旗など、五百余の兵が近づいてくる。
 「誰か?」
 と見れば、車のうえには悠然として軍師孔明。――前駆の二大将は糜竺(びじく)、糜芳(びほう)のふたりだった。
 「 オオ、これは」  
 「軍師か」
 威光というものは争えない。関羽と張飛はそれを見ると、理屈なしに馬をおりてしまった。そして車の前に拝伏し、夜来の大捷(たいしょう)を孔明に報告した。
 「わが君の御徳と、各?の忠誠なる武勇によるところ。同慶の至りである。」
 孔明は車上から鷹揚にそういって、大将たちをねぎらった。自分よりはるかに年上な猛将たちを眼の下に見て、そういえるだけでも、年まだ二十八歳の弱冠とは見えなかった。
 やがて、またここへ、趙雲、関平、劉封などの諸将も各?の兵をまとめて集まった。

 関羽の養子関平は、敵の兵糧車七十余輛を分捕って、初陣の意気軒昂たるものがあった。

 さらに、白馬にまたがった玄徳のすがたが、これへ見えると、諸軍声をあわせて、勝鬨(かちどき)をあげながら迎えた。

 「ご無事で」

 「めでたく」

 「しかも、大捷を占めてのご帰城――」と、人々はよろこび勇んで、新野へ凱旋した。旗幡翻々(へんぺん)と道を埋め、土民はそれを迎えて拝舞雀躍(はいぶじゃくやく)した。

 孫乾は、留守していたので、城下の父老をひきいて、郭門(かくもん)に出迎えていた。その老人たちは、口をそろえて、

 「この土地が、敵の蹂躙から免れたのは、ひとえにわがご領主が、賢人を厚くお用いなされたからじゃ」と、玄徳の英明をたたえ、また孔明を徳として仰いだ。

 しかし孔明は誇らなかった。

 城中に入って、数日の後、玄徳が彼に向って、あらゆる歓びと称讃を呈しても、

 「いやいや、まだ決して、安心はなりません」と、眉をひらく風もなかった。

 「いま、夏侯惇の十万騎は、残り少なに討ちなされて、ここしばらくは急もありますまいが、必定、この次には、曹操自身が攻め下って来るでしょう。味方の安危如何はその時かと思われます」

 「曹操がみずから攻めてくるようだったら、それは容易ならぬことになる。北方の袁紹ですら一敗地に滅び、冀北(きほく)、遼東(りょうとう)、遼西(りょうせい)まで席巻したあの勢いで南へきたら?」

 「かならず参ります。故に、備えておかなければなりますまい。それにはこの新野は領堺も狭く、しかも城の要害は薄弱で、たのむには足りません」

 「でも、新野を退いては」

 「新野を退いて拠るべき堅固は……」

 と、孔明は云いかけて、そっとあたりを見まわした。

 「ここに一計がないでもありません」

 と、孔明は声をはばかって、ささやいた。

 「国主の劉表は病重く、近頃の容態はどうやら危篤のようです。これは天が君に幸いするものでなくてなんでしょう。よろしく荊州を借りて、万策をお計りあれ。それに拠(よ)れば、地は広く、嶮(けん)は狭く、軍需財源、すべて充分でしょう」

 玄徳は顔を横に振った。

 「それは良計には違いなかろうが、わしの今日あるは、劉表の恩である。恩人の危うきにつけこんで、その国を奪うようなことは忍び得ない」

 「このさい小乗的なお考えは捨て、大義に生きねばなりますまい。いま荊州を取っておかなければ、後日になって悔ゆるとも及びませぬ」

 「でも、情にもとり、義に欠けるようなことは」

 「かくいううちにも、曹操の大軍が襲来いたしたなら、何となさいますか」

 いかなる禍いにあおうと、忘恩の徒と誹(そし)られるよりはましである」

 「ああ。まことに君は仁者でいらせられる!」

 それ以上、強いることばも、諫める辞(じ)もなく、孔明は口をつぐんだ。

 さてまた夏侯惇は、口ほどもない大敗を喫して、命からがら都へ逃げ上り、みずから面縛して――死を待つ意味で罪人のように眼隠しをほどこし――畏(おそ)る畏る相府の階下にひざまずいた。

(面目なくて会わせる顔もありません)といわぬばかりな姿である。

 曹操は出座して、それを見ると苦笑した。

 「あれを解いてやれ」と、左右の者へ顎でいいつけ、階(かい)を上がることをゆるした。

 夏侯惇は、庁上に慴伏(しょうふく)して、問わるるまま軍(いくさ)の次第を報告した。

 「何よりの失策は、敵に火計のあることをさとらず、博望坡(はくぼうは)をこえて、渓林のあいだへ深入りしすぎた一事でございました。ために丞相の将士を数多(あまた)うしない、罪万死に値します」

 「幼少より兵学を習い、今日まで幾多の戦場を往来しながら、狭道には必ず火攻めのあることぐらい気づかないで軍の指揮ができるか」

 「今さら、何の言い訳もございません。于禁はそれをさとって、それがしにも注意しましたが、後悔すでに及ばなかったのであります」

 「于禁には大将軍たる才識がある。汝も元来の凡将ではない筈。この後の機会に、今日の恥をそそぐがよい」と叱ったのみで、深くも咎めなかった。

 その年の七月下旬。

 曹操は八十余万の大軍を催し、先鋒を四軍団にわかち、中軍に五部門を備え、後続、遊軍、輜重など、物々しい大編制で、明日は許都を発せんと号令した。中太夫孔融(こうゆう)は、前の日、彼に諫めた。

 「北国征略のときすら、こんな大軍ではありませんでした。かかる大動員をもって大戦にのぞまれなば、おそらく洛陽、長安以来の惨禍を世に捲き起しましょう。


 さる時には、多くの兵を損い、民を苦しめ、天下の怨嗟(えんさ)は挙げて丞相にかかるやも知れません。なぜならば、玄徳は漢の宗親、なんら朝廷に反いたこともなく、また呉の孫権たりといえど、さして不義なく、その勢力は江東江南六郡にまたがり、長江の要害を擁しているにおいては、いかにお力をもってしても……」
 「だまれ。晴れの門出に」
 曹操は叱って、「なお申さば、斬るぞ」と、一喝に退けてしまった。
 孔融は、慨然(がいぜん)として、府門を出ながら、  
 「不仁を以て仁を伐(う)つ。敗れざらんや。ああ!」
 と、嘆いて帰った。
 附近にたたずんでいた厩の小者が、ふと耳にして、主人に告げ口した。その主人なる男は日頃、孔融と仲の悪い?慮(げきりょ)だったから、早速、曹操にまみえて、輪に輪をかけて讒言した。 (202話)
                ― 次週へ続く―

 

 

 

 


 
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