孔明はかねてから新野(しんや)の戸籍簿を作って、百姓の壮丁(そうてい)を徴募しておいた。城兵数千のほかに、農兵隊の組織を計画していたのである。
次の日から、彼はみずから教官となって、三千余人の農民兵を調練しはじめた。歩走(ほそう)、飛伏(ひふく)、一進一退、陣法の節を教え、克己の精神をたたき込み、刺撃、用剣の術まで、習わせた。 ふた月も経つと、三千の農兵は、よく節を守り、孔明の手足のごとく動くようになった。
かかる折に、果たして、夏侯惇を大将とする十万の兵が、新野討滅を名として、南下してくるとの沙汰が聞えてきたのである。
「十万の大兵とある。如何にして防ぐがよいか」
玄徳は恐怖して、関羽、張飛のふたりへもらした。すると張飛は、
「たいへんな野火ですな。水を向けて消したらいいでしょう」
と、こんな時とばかり、苦々しげに面当(つらあ)てをいった。
些末(さまつ)な感情などにとらわれている場合ではない。玄徳は二人へいった。
「智は孔明をたのみ、勇は二人の力にたのむぞ。よいか。くれぐれも」
張飛と関羽が退がると、玄徳はまた孔明を呼び、同じように、この急場に処する対策を依嘱した。
「ご心配は無用です」
孔明はまずそういってから、
「――ただ、この際の憂いは、外よりも内にあります。おそらくは関羽、張飛のふたりが私の命に伏しますまい。軍令が行われなければ、敗れることは必然でしょう」
「実に困ったものだ。それにはどうしたらいいだろう」
「おそれながら、わが君の剣と印とを孔明にお貸しください」
「易いこと、それでよいか」
「諸将をお召しください」
孔明の手に、剣と印を授けて、玄徳は諸将を呼んだ。 孔明は、軍師座に腰をすえ、玄徳は中央の床几(しょうぎ)に倚(よ)っていた。孔明は、厳然立ちあがって、味方の配陣を命じた。
「ここ新野を去る九十里外に、博望坡(はくぼうは)の嶮がある。左に山あり、予山(よざん)という。右に林あり、安林(あんりん)という。――各 ここを戦場と心得られよ」と、まず地の理を指摘して、「――関羽は千五百をひきいて予山にひそみ、敵軍の通過、半ばなるとき、後陣を討って、敵の輜重を襲い、火をかけて焚殺(ふんさつ)せられよ。張飛は、同じく千五百の兵を、安林に入れて、後ろの谷間へかくれ、南にあたって、火のあがるを見るや、無二、無三、敵の中軍先鋒へ当ってそれを粉砕し給え。――また、関平と劉封とは各五百人を率して、硫黄(いおう)焔硝(えんしょう)をたずさえ、博望坡の両面より、火を放って敵を火中につつめ」
次に、趙雲を指命して、
「ご辺には先手を命じる」と、いった。
趙雲が、よろこび勇むと、孔明はたしなめて、
「ただし、一箇の功名は、きっと慎み、ただ詐(いつわ)り負けて逃げてこられよ。勝つことをもって能とせず、敵を深く誘いこむのが貴公の任である。ゆめ、全軍の戦機をあやまり給うな」と、さとした。
そのほか、すべての手分けを彼が命じ終ると、張飛は待っていたように、いきなり孔明へ向って大声でいった。
「いや、軍師のおさしず、いちいちよく相分った。ところで一応伺っておきたいが、軍師自身は、いずれの方面に向い給うか」
「わが君には、一軍をひきい、先手の趙雲と、首尾のかたちをとって、すなわち敵の進路に立ちふさがる――」
「だまれ、わが君のことではない。ご辺みずからは、どこで合戦をする覚悟かと訊いておるのだ」
「かく申す孔明は、ここにあって新野を守る」
張飛は、大口あいて、不遠慮に笑いながら、
「わははは、あははは。さてこそさてこそ、この者の智慧のほどこそ知られけり――だ、聞いたか、方々」と、手をうって、
「主君をはじめ、われわれにも、遠く本城を出て戦えと命じながら自分は新野を守るといっておる、――安坐して、おのれの無事だけを守ろうとは……うわ、は、は、は。笑えや、各 」
孔明は、その爆笑を一喝に打ち消して、涼然(りょうぜん)、こう叱りつけた。
「剣印ここにあるを、見ぬか。命にそむく者は、斬るぞっ。軍紀をみだす者も同じである!」
眸は、張飛を射すくめた。奮然張飛は反抗しかけたが、玄徳になだめられて、不承不承出ていった。嘲笑いながら、出陣した。 表面、命令に従って、それぞれ前線へ向っては行ったが、内心、孔明の指揮をあやぶんでいたのは関羽、張飛だけではなかった。
関羽なども、張飛をなだめていたが、
「とにかく、孔明の計(はかりごと)があたるか否か、試みに、こんどだけは、下知に従っていようではないか」
と、いった程度であった。
時、建安十三年の秋七月という。夏侯惇は十万の大軍を率いて、博望坡(はくぼうは)(河南省・新野(しんや)の北方)まで迫ってきた。
土地の案内者をよんで、所の名をたずねると、
「うしろは羅口川(らこうせん)、左右は予山、安林。前はすなわち博望坡です」と、答えた。
兵糧輜重などを主とした後陣の守りには、于禁、李典の二将をおき、自身は副将の夏侯蘭、護軍の韓浩の二人を具して、さらにすすんだ。 そしてまず、軽騎の将数十をつれて、敵の陣容を一眄(べん)すべく、高地へ馳けのぼって行ったが、
「ははあ。あれか。わははは」と、夏侯惇は、馬上で大いに笑った。
「何がそんなにおかしいので」と、諸将がたずねると、
「さきに徐庶が、丞相のご前で、孔明の才をたたえ、まるで神通力でもあるようなことをいったが、今、彼の布陣を、この眼に見て、その愚劣を知ったからだ。――こんな貧弱な兵力と愚陣を配して、われに向わんとは、犬羊をケシかけて虎豹(こひょう)と闘わせようとするようなもの――」
と、なお笑いやまず、自分が曹操の前で、玄徳と孔明を生捕って見せると大言したことも、これを見れば、もう掌にあるも同様だと云い足した。 すでに敵を呑んだ夏侯惇は、先手の兵にむかって、一気に衝き崩せと号令をかけ、自身も一陣に馳けだした。
時に、趙雲もまた彼方から馬を飛ばして、夏侯惇のほうへ向ってきた。夏侯惇は、大音をあげていう。
「鼠将(そしょう)玄徳の粟を喰って、共に国をぬすむ醜類(しゅうるい)、いずこへ行くか。夏侯惇これにあり、首をおいてゆけ」
「何をっ」趙雲は、まっしぐらに、鎗を舞わしてかかってくる。丁々十数戟(すうげき)、偽って、たちまち逃げ出すと、
「待てっ、怯夫(きょうふ)っ」と、夏侯惇は、勝ち誇って、あくまで追いかけて行った。
護軍韓浩(かんこう)は、それを見て、夏侯惇に追いつき、諫めていった。
「深入りは危険です。趙雲の逃げぶりを見ると、取って返して誘い、誘ってはまた逃げだす様子、伏兵があるにちがいありません」
「何を、ばかな」夏侯惇は一笑に付して
「伏勢があれば伏勢を蹴ちらすまでだ、これしきの敵、たとえ十面埋伏の中を行くとも、なんの恐るるに足るものか。――ただ追い詰め 追い詰め 討ちくずせ」
かくて、いつか彼は博望の坡(つつみ)を踏んでいた。 すると果たして、鉄砲のとどろきと共に、金鼓の声、矢風の音が鳴りはためいた。旗を見れば玄徳の一陣である。夏侯惇は大いに笑って、
「これがすなわち、敵の伏勢というものだろう。小ざかしき虫けらども、いでひと破りに」
と、云い放って、その奮迅に拍車をかけた。
気負いぬいた彼の麾下(きか)は、その夜のうちにも新野へ迫って、一挙に敵の本拠を抜いてしまうばかりな勢いだった。 玄徳は一軍を率いて、力闘につとめたが、もとより孔明から授けられた計のあること、防ぎかねた態をして、たちまち趙雲とひとつになって潰走しだした。
いつか陽は没して、霧のような蒸雲のうえに、月の光がかすかだった。
「おうーいっ、于禁。おういっ――しばらく待て」
うしろで呼ばわる声に、馬に鞭打って先へ急いでいた于禁は、
「李典か。何事だ」と、大汗を拭いながら振向いた。
李典も、あえぎあえぎ、追いついてきて、
「夏侯都督には、如何なされたか」
「気早の御大将、何かは猶予のあるべき。悍馬(かんば)にまかせて真っ先に進まれ、もうわれらは二里の余もうしろに捨てられている」
「危ういぞ。図に乗っては」
「どうして」
「あまりに盲進しすぎる」
「蹴ちらすに足らぬ敵勢、こう進路のはかどるのは、味方の強いばかりでなく、敵が微弱すぎるのだ。それを、何とて、びくびくするのか」
「いや、びくびくはせぬが、兵法の初学にも――難道行くに従って狭く、山川相せまって草木の茂れるは、敵に火計ありとして備うべし――。ふと、それを今、ここで思い出したのだ」
「むむ。そういわれてみると、この辺の地勢は……それに当っている」
と、于禁も急に足をすくめた。
彼は、多くの兵を、押しとどめて、李典にいった。
「ご辺はここに、後陣を固め、しばらく四方に備えていて給え。……どうも少し地勢が怪しい。拙者は大将に追いついて、自重するよう報じてくる」
于禁は、ひとり馬を飛ばし、ようやく夏侯惇に追いついた。そして李典のことばをそのまま伝えると、彼もにわかにさとったものか、
「しまったっ。少し深入りしたかたちがある。なぜもっと早くいわなかったのだ」
そのとき――一陣の殺気というか、兵気というものか、多年、戦場を往来していた夏侯惇なので、なにか、ぞくと総身の毛あなのよだつようなものに襲われた。
「――それっ、引っ返せ」
馬を立て直しているまもない。四山の沢べりや峰の樹かげ樹かげに、チラチラと火の粉が光った。
すると、たちまち真っ黒な狂風を誘って、火は万山の梢に這い、渓(たに)の水は銅(あかがね)のように沸き立った。
「伏兵だっ」
「火攻め!」
と、道にうろたえだした人馬が、互いに踏み合い転げあって、阿鼻叫喚をあげていたときは、すでに天地は喊(とき)の声にふさがり、四面金鼓のひびきに満ちていた。
「夏侯惇は、いずれにあるか。昼の大言は、置き忘れてきたか」
趙雲子龍(ちょううんしりゅう)の声がする。(201話)
― 次週へ続く ―