呉の国家は、日ましに勢いを加えてゆく。
南方の天、隆昌の気がみなぎっていた。
いま、呉の国力が、もっとも力を入れているのは、水軍の編制であった。
造船術も、ここ急激に、進歩を示した。 大船の建造は旺(さかん)だった。それをどんどんに集め、周瑜が水軍大都督となって、猛演習をつづけている。
孫権自身もまた、それに晏如(あんじょ)としてはいなかった。叔父の孫静に呉会を守らせて、 陽湖に近い柴桑郡(さいそうぐん)(江西省・九江西南)にまで営をすすめていた。
その頃。
玄徳は新野(しんや)にあって、すでに孔明を迎え、彼も将来の計にたいして、準備おさおさ怠りない時であった。
「--はてな。一大事があるといって荊州から迎えの急使がみえた。行くがよいか。行かぬがよいか?」
その日、玄徳は、劉表の書面を手にすると、しきりに考えこんでいた。
孔明が、すぐ明らかな判断を彼に与えた。
「お出向きなさい。――おそらく、呉に敗れた黄祖の寇(あだ)を討つためのご評議でしょう」
「劉表に対面した節は、どういう態度をとっていたがよいだろうか」
「それとなく、襄陽(じょうよう)の会や、檀渓(だんけい)の難のことをお話しあって、もし劉表が、呉の討手を君へお頼みあっても、かならずお引受けにならないことです」
張飛、孔明などを具して、玄徳はやがて、荊州の城へおもむいた。
供の兵五百と張飛を、城外に待たせておき、玄徳は孔明とふたりきりで城へ登った。 そして、劉表の階下に、拝をすると、劉表は堂に迎えて、すぐ自分のほうから、
「先ごろは襄陽の会で、貴公に不慮の難儀をかけて申しわけない。蔡瑁を斬罪に処して、お詫びを示そうと存じたが、当人も諸人も慚愧(ざんき)して嘆くので心ならずも許しておいた。どうかあのことは水に流して忘れてもらいたい」と、いった。
玄徳は、微笑して、
「なんの、あのことは、蔡将軍の仕業ではありません。おそらく末輩(まっぱい)の小人輩(ばら)がなした企みでしょう。私はもう忘れております」
「ときに、江夏の敗れ、黄祖の戦死を、お聞き及びか」
「黄祖は、自ら滅びたのでしょう。平常心のさわがしい大将でしたから、いつかこの事あるべきです」
「呉を討たねばならんと思うが……?」
「お国が南下の姿勢をとると、北方の曹操が、すぐ虚にのって、攻め入りましょう」
「さ。……そこが難しい。……自分も近ごろは、老齢に入って、しかも多病。いかんせん、この難局に当って、あれこれ苦慮すると、昏迷してしまう。……ご辺は、漢の宗族、劉家(りゅうけ)の同族。ひとつわしに代って、国事を治め、わしの亡いあとは、この荊州を継いでくれまいか」
「お引き受けできません。この大国、またこの難局、どうして菲才(ひさい)玄徳ごときに、任を負うて立てましょう」
孔明はかたわらにあって、しきりと玄徳に眼くばせしたが、玄徳には、通じないものか、
「そんな気の弱いことを仰せられず、肉体のご健康につとめ、心をふるい起して、国治のため、さらに、良策をお立て遊ばすように」
とのみ云って、やがて、城下の旅館に退ってしまった。あとで、孔明が云った。
「なぜお引受けにならなかったのですか」
「恩をうけた人の危ういのを見て、それを自分の歓びにはできない」
「――でも、国を奪うわけではありますまいに」
「譲られるにしても、恩人の不幸は不幸。自分にはあきらかな幸い。……玄徳には忍びきれぬ」
孔明は、そっと嘆じて、
「なるほど、あなたは仁君でいらっしゃる」と、是非なげに呟いた。
そこへ、取次があった。
「荊州のご嫡子、劉?さまが、お越し遊ばしました」
玄徳は驚いて出迎えた。 劉表の世子劉?が、何事があって、訪ねてきたのやら? と。 堂に迎えて、来意を訊くと、劉?は涙をうかべて告げた。
「御身もよく知っておられるとおり、自分は荊州の世継ぎと生れてはいるが、継母の蔡氏(さいし)には、劉?があるので、つねにわしをころして劉?を跡目に立てようとしている。……もう城にいては、わしはいつ害されるかわからない。玄徳、どうか助けてください」
「お察し申しあげます。――けれど、ご世子、お内輪のことは、他人が容喙(ようかい)して、どうなるものでもありません。苦楽種々、人の家には誰にもあるもの。それを克服するのは、家の人たるものの務めではありませんか」
「…でも。ほかのことならなんでも忍びもしようが、生命が危ないのです。わしは殺されたくはない」
「孔明。なにかよい思案はないだろうか。ご世子のために」
孔明は、冷然と、顔を横に振って答えた。
「一家の内事、われわれの知ることではありません」
「…………」
劉?は、悄然と、帰るしかなかった。玄徳は気の毒そうに送って出て、
「明日、ご世子のお館まで、そっと孔明を使いにやりますから、その時、こういうようにして、彼に妙計をおたずねなさい」と、なにか耳へささやいた。
翌日、玄徳は、
「きのう世子のご訪問をうけたから、回礼に行かねばならぬが、どうしたのか、今朝から腹痛がしてならぬ。わしに代って、ご挨拶に行ってくれぬか」と、孔明にいった。
で――孔明は、劉?の館へ出向いた。すぐ帰ろうとしたが、劉?が礼を篤くして、酒をすすめるので、帰ろうにも帰れなかった。
酒、半酣(はんかん)の頃、
「先生にお越しを賜わったついでに、ぜひご一覧に供えて教えを仰ぎたい古書があります。重代の稀書 (きしょ)だそうです。ひとつご覧くださいませぬか」
彼の好学をそそって、ついに閣の上に誘った。孔明は、室を見廻して、
「書物はどこですか」と、不審顔をした。
劉?は、孔明の足もとに、ひざまずいて、涙をたれながら百拝していた。
「先生、おゆるし下さい。あなたをここへ上げたのは、きのうおたずね致した自分の危難を救っていただきたいからです。どうか、死をまぬがれる良計をお聞かせ下さい」
「知らん」
「そんなことを仰っしゃらずに」
「なんで、他家の家庭の内事に立ち入ろう。そんな策は持ち合わせません」
袂を払って、閣を下りようとすると、いつのまにか、そこの梯(かけはし)を下からはずしてあった。
「あ? ……ご世子には、孔明をたばかられたな」
「先生をおいては、この世に、訊く人がありません。にとっては、生死のさかいですから……」
「いくらお訊ねあろうと、ない策は教えられません。難をのがれ、身の生命を完(まっと)うなされたいと思し召すなら、ご自身、智をふるい、勇をおこして、危害と闘うしかないでしょう」
「では、どうしても、先生のお教えは乞えませんか」
「疎(うと)きは親しきを隔(へだ)つべからず。新しきは旧きを離間すべからず。このことばの通りです」
「ぜひもございません」
劉?は、ふいに剣を抜いて、自分の手で自分の頸(くび)を刎ねようとした。 孔明は急に、押しとどめて
「お待ちなさい」
「離してください」
「いや、良計を教えましょう。それほどまでのご心底なら」
「えっ、ほんとですか」
劉?は、剣をおいて、孔明の前にひれ伏し、急に眼をかがやかした。(199話)
― 次週へ続く ―