ふと思い出した
私の伯父と中国人には古くて深いつながりがあった
私の父は男だけの四人兄弟の末っ子で
一番上の兄は野球選手になり
二番目は新聞記者になり
三番目はケーキ職人になり
四番目の父が稼業を継いだ
三番目の伯父から生前に聞いた話
戦争中には兵隊にとられれて
中国戦線にいたそうだ
とはいえ
実戦経験はほぼなかったそうだ
でもって
敗戦になってから復員したのだけど
仕事がない
私の両親はいずれも神戸出身で
まあ
神戸も空襲でボロクソにやられた
私の母は焼き付くされた街で死体をたくさん見たというし
父は戦闘機の機銃掃射を受けたことがあるそうだ
でもって
伯父はしばらくしてから
洋菓子屋で働くことになった
まあもちろん
見習いからの修行
でもって
その洋菓子屋の経営者の親方は
中国人だったそうだ
ううむ
当時の中国人で洋菓子職人かあ
なんか
しっくりこないなあ
で
後になってからふと思いついた
戦前の上海は東洋一のモダン都市
日本の大都市よりもよほど
西洋文化が浸透していた
日本の敗戦が決定したのは1945年8月15日
でもって
その年の秋には国共内戦が始まった
上海が陥落したのは1949年の5月
目先の効く資産家なんかでは
それより前に脱出していた人も多いだろう
伯父がいつ神戸に戻ってきたか
いつ洋菓子店に弟子入りしたかは聞きそびれてしまったが
まあ
1940年代の末頃だろうか
考えてみれば
焼け跡の神戸で洋菓子店を経営するのは簡単じゃない
店舗を持つにも資金が必要だし
極端な食糧難の時代だから
食材の入手も極端に困難
そんな時代に人を雇えたということは
かなりの「背景」があった中国人ではなかろうか
伯父の「親方」はそんな上海人だったのではないか
その伯父であるが
私が物心がついた時代には
すでに地位を上げて
東京都内に住んでいた
私は物心ついた時から
誕生ケーキを買ってもらった記憶はない
いつも父が伯父にもらっていた
伯父はその後
洋菓子づくりの指導とか
ホテルのカフェの経営指導なんかを
するようになったそうだ
ずいぶん後になってから
たしか1990年代のことだけど
伯父に
「今の中国の洋菓子づくりはどういう水準ですか?」
と聞いたことがある
すると
「職人の腕はいいはずだけど
あの材料じゃねえ……」と言っていた
まあ
1990年代だとそういう評価だったのかな
今では全く違うのであるが
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写真は
1953年に北京市内で撮影された
ケーキづくりの風景