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   呉下の凡愚の住処   
三国志(孫呉)・春秋戦国(楚)および古代中国史絡みの雑記、妄想、感想をおいてます。文物や史跡など、誰もが実際に見に行けるものを布教していきたいな。他、中国旅行記や中国語学習記も。
  沈尹戌は呉人なのか楚人なのか問題     
2020-11-19 04:02:00


先日の


この論文の注にて、
「沈尹戌は呉から来奔して楚に仕えた呉人説」
について詳しく考察されていたため、これも訳しました。
沈尹戌、日本語のWikipedia記事すらありませんので……

例によって引用元はこちらです
從新出文字材料論楚沈尹氏之族屬源流


↓↓↓ここから↓↓↓


《左伝》定公四年云:“初,司馬臣闔閭,故恥爲禽焉。”(初め、司馬闔閭に臣たり。故に禽と爲るを恥ず)
《左伝》定公五年曰:“葉公諸梁之弟后臧,從其母於?,不待而歸。葉公終不正視。”(葉公諸梁の弟后臧、其の母に?に從い、待たずして歸る。葉公終に正視せざりき)

(司馬は沈尹戌の役職)
学者の中には、この2つの史料から、沈尹戌父子は呉の人で、
楚に来奔した者の可能性があるとする人もいる。
これを少し分析してみよう。

沈尹戌が最初に出てくるのは昭公十九年(前523年)。
闔閭は昭公二十八年に即位しているため、
沈尹戌は闔閭の即位前の公子光時代に仕えていたのだろう。

楚共王の息子同士の内乱で楚の国力が消耗したため、
前528年の楚平王の即位後、
楚は呉との争いにおいて不利になっていき、
前525年の長岸の戦いでは、楚軍は優勢から劣勢に転じて敗戦した。
この戦いの呉側の司令官は公子光である。
沈尹戌の「禽と爲るを恥ず」はこの戦いと関係があるかも知れない。

沈尹という氏と地位から判断して、
沈尹戌が元は楚の人であったのは明らかだ。

《史記》巻31・呉太白世家曰:“楚之亡臣伍子胥來犇,公子光客之”
沈尹戌と伍子胥はどちらも公子光に仕えたが、
2人の事情は異なる。でなければ沈尹戌が「禽と爲るを恥ず」ことは
考えにくいし、戦死するまで呉と戦いもしないだろう。

沈尹戌が呉に仕えた理由は、戦争で捕虜になったか、
質子として滞在していたかといったもので、
自ら望んだものではないだろう。

后臧が母を待たずに帰った理由は、劉玉堂氏が分析したように、
楚人の身分と関係があると考えられる。


↑↑↑ここまで↑↑↑


田先生の注は以上ですが、
私にできるわずかな補足があるので書いておきます。

定公五年の后臧が母を待たずに帰った件については杜預注に
“?入楚、獲后臧之母。楚定。臧棄母而歸。”
(?楚に入り、后臧の母を獲。楚定まる。臧母を棄てて歸るなり)

とあり、呉が楚に攻め込んだことにより后臧の母を捕虜とした
ということなので、后臧の母つまり沈尹戌の妻が
もともと呉にいたわけではない。と読めます。

まあ、これだけ出土史料が大量に出ていますので
諸先生方も「杜預の注自体が違うのではないか」
「沈尹戌はもともと呉の人なのではないか」という考えに
なるのだと思います。その気持ちはすごく納得できます……

ですが、「氏が沈尹なので楚の沈尹氏だろう」というのは
全力で肯定はできなくて、
徐にあったように呉にも沈尹の官があったかもしれないですし、
呉でまあまあの地位についていたから楚で司馬の地位につけた……
という可能性も捨てられなくはないのかなと……
根拠もなく申し訳ないですが……可能性として……

楚の人間が呉に質子に行ったら殺されそうだし、
捕虜はもっと殺されそう……と思うのは私だけじゃないはず。(笑)
楚呉の関係がまあまあな時代もあったのですかねえ……
どうして彼が昔呉に仕えていたのか、
左伝の中では手がかりがないのが悲しいですね。

また、論文内で「沈尹戌は楚荘王の曽孫である」という
伝世文献の記述を否定しているため、
楚と沈尹戌との関係がなくなってしまいましたし、
「沈尹戌が穆王の子孫である」のかどうかは、
まだ分からないのかなと……

やはり論文にもあったように沈尹氏の初期の世系が分からないと
沈尹戌が楚と呉どちらの人間であったのかは
安易に判断できないのかなあと思いました。
いや、田先生の論考は全然安易ではないのですが……
(しかもこれが注に書いてあるという……)

正しいか正しくないか、ということは大事かもしれませんが、
日本の現状のように、そもそも情報がまったくないというのでは
お話しになりませんので、
こちらの注も紹介させていただいた次第です。

 
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