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三国志(孫呉)・春秋戦国(楚)および古代中国史絡みの雑記、妄想、感想をおいてます。文物や史跡など、誰もが実際に見に行けるものを布教していきたいな。他、中国旅行記や中国語学習記も。
  『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』 魯迅 【前編】     
2023-11-07 16:18:58


2017年4月25日に保存してあった文です。

もったいないので投稿します。内容の編集はしていません。

 

 

 

岩波文庫(訳:竹内好)の魯迅『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)』
だいぶ前に読み終えました。最近魯迅の作品に触れる機会があったので
そう言えば最初に読んだとき何も言及してなかったなと思い、
感想を書くことにしました。

良くも悪くも雑な感想です。
著名な文学作品ですし、追究しようとするといくらでも
深く! まじめに! 時代背景とも照らし合わせて!
……といった感じで感想を書けるのでしょうが、
私はどこかに書評を寄稿するわけじゃないので、
趣味で中国史を好きなだけの者が感じた感想として書きました。
原文は百度でチラ見しかしていません。
作品についてなんの解説もしていませんがよろしくお願いします。

魯迅ファンの方や魯迅作品を知らずに読んだ方を
のちのち不快にさせないためにいきなり言いますが、
私はこの《?喊》という作品集には、
読者をやるせない気持ちにさせる話がかなり多いなと感じました。

「魯迅が中国社会の救い難い病根と感じたもの、それは儒教を媒介とする封建社会であった。 (中略)こうしたやりきれない暗さの自覚から中国の新しい歩みは始まった」

と本のカバーにもあるので、やるせなさ、
つまり「やりきれない暗さ」を読んで感じられるというのは
読者として大成功なのかもしれませんが……
救いのない、後味の悪い話が本当に多いです。
読むと元気を持っていかれます。
やるせない気持ちになるだけではない作品もあるのですが、
それでもどこか物悲しい・寂寥感を覚えるような雰囲気が漂っています。

それも、超常現象で仕方なく悲しい展開になる……といった類ではなく、
きっと中国のどこにでもあるであろう、太古の昔から変わらない、
国の体制によって一市民が悲しむ話ばかりなんです。
超常現象で理不尽な目に遭う話も後味は悪いんですけど、
体制のせいで苦しむってもっと嫌なんですよね。
「そこに生きるだけで苦しい」んですよ。

南北朝に作られた後漢代のことを詠った詩に

《孔雀東南飛》というものがあり、
自由にならなかった男女の悲劇なのですが、
魯迅の小説でも庶民の基本的な悩みの種は
漢代とまったく変わってないと思うんですよね。
後漢から清末って実に1700年隔たりがあるんですけど、

別に何も変わってない。
生きてるだけで地獄のように苦しいなんて、
こんなにやるせないことがあってたまるかって話です。
しかもそんな作品が10編以上も収録されてるんですよ……
私は読んだものに気持ちを持っていかれるタイプなので

とてもきつかったです。
話自体は読みやすく言葉も難解なところはないですが……

重い作品集でした。

関連:後漢末の漢詩など紹介
http://ameblo.jp/ancyon/entry-12002901686.html


自序:
魯迅がこの作品集に《?喊》という題を付けた理由などが記されてます。
今回、中国人作家の作品を日本語で読むにあたって
「固有名詞はすべてピンインを調べ、その発音で読む」
というルールを自分に課してやり遂げました。
もともと遅読なのが5倍は遅くなりましたが、

やってよかったと思ってます。

発音でいちばん驚かされたのが、この?喊です。
日本語では「とつかん」と読むそうです。私は読めませんでした。
中国普通話では“n?h?n”でした。なーはんです。
「開戦にあたって両軍の兵士が雄叫びを上げること」
という意味なのだそうです。
この発音は個人的にはとても強烈なインパクトを受け、
正直《狂人日記》の内容も忘れていた私ですら発音は覚えていました。

「現状を変えるために何かを為したい気持ちはあるけれど、
 自分が何かをしたところで何も変わらないだろう。
 どうせ結果が変わらないのなら、何もしなくていいじゃないか……」
という気持ちは、

きっとたくさんの人が抱いたことのあるものだと思います。

私も中国史に関するまともなテーマの記事を書きたいと思ったとき、
「専門家から叩かれるリスクを背負って何をするつもりなんだ……」
という気持ちになります。
魯迅の感じていた重みとは比べるべくもありませんが、
このような気持ちになることは、誰にでも起こりうることだと思うんです。
その葛藤から踏み出して、作品を生み続けてもらった結果できたのが
この《?喊》なんですね……

《狂人日記》:
まわりの人間が全員自分を食べようと狙っているのではないかという
被害妄想で狂ってしまう男の手記。
この男は後に“被害妄想狂”を完治させて
社会復帰できたようなので、とても後味が良かったです。
記憶になかったのもそのせいかも。

後味が悪かった話のほうがよく覚えてます。
封建社会への批判が表れている作品ということですが、
意識しないと分からないし、私は読みやすかったです。

「食人の記録が怖かった」という感想をたびたび見かけましたが、
飢饉の時代、仕方なく食べたということには恐怖を感じませんでした。
他に食べられるものがあるのに人間を主食として、
通りすがりの人を食べるために殺すような記録であれば怖かったでしょう。

《孔乙己》:
科挙に受からず落ちぶれてしまった老人と、彼をおもしろがる周囲の話。
私も魯迅と同じく科挙は大嫌いだし即刻中止せよ!(もうない)
……って思ってますけど、この話は科挙の爪痕を感じられていい話でした。
科挙って本当につい最近まであって、

人の人生を握ってたんだなと分かります。
隋代に始まった科挙はもはや国そのものをも握りつぶしたと思う。
中国の歴史って本当に連綿と続いてるんだなあとしみじみ感じました。
老人(孔乙己)は最後姿を現さなくなり、

死んだに違いないと書かれています。

オチは悲しいですが、舞台が立ち呑み屋というところ、
呑み屋の主人は孔乙己が来ると笑顔になるというところなど、
他のものよりもまだ人の生活の温かさを感じられる作品で、私は好きです。
孔乙己はいつも笑われているのですが、
この居酒屋の雰囲気を嫌いではなかったのだろうし、
とても絶望的な状況であるだろうに、
ふさぎ込んでいる姿を見せないことに強さを感じます。
現代だって、職を失い、家を失えば孔乙己のようになってしまいます。
店で働く“私”の立場から見たままを描いていることが悲しさを和らげ、
また無関心さを演出していると思います。

《薬》:
肺病の息子を持つ父親が民間で信じられている“薬”を買って

息子に飲ませる話。
息子は助かりません。薬とは人間の血にひたした饅頭でした。
この本でも指折りのやるせない話です。
悲しい描写が淡々としすぎていて、
“悲痛”とか“慟哭”とか、そういう感じではないんですよね。
当人たちは慟哭じゃ済まされないでしょうけど、

描かれ方としては本当に静かで、
どうしようもなくやるせなくて時間をもとに戻してほしいくらいなのに、
読者としては言葉も涙も出ません。

そこにある風景だけを描写したという感じ。
この切なさの演出はすごい。そしてしんどいです。

西洋医学がないのでこんな類の“薬”に惑わされる人民が多い――
という主張も作中にあるのでしょうが、
プラセンタだって胎盤を食べたり塗ったりするわけですし、
人の生き血が美容にいいという話は中国以外にもあったわけで、
「西洋医学のような薬がないこと」と、
「“人間の生き血が病気に効く”という迷信があったこと」は、
私はあまり関係ないんじゃないかなと思いました。
たとえ西洋医学があっても、この迷信は消えなかっただろうと思う。
あるいは今でも信じている人はいると思います。

まあそれを「迷信」と感じることすらできないのが
悲しくて残酷なんだということなんでしょうけどね。
ちなみに夏瑜が夏三爺に密告されて云々という部分は
解説がないと関係が分かりませんでした。
 
《明天》(『明日』):
未亡人になった女性の子供が病気にかかり、そのまま死んでしまう話。
「よくもこんな悲しくむなしく救いがなく
 気力を奪うだけの話を読ませてくれたな!!」
という感じ。

読者をこんな気持ちにさせることが魯迅の狙いなのでしょうから
やっぱり大成功なんですけど……この話の主張はなんなんだろう……?

「女性は嫁ぐと故郷に戻れなくなるし、
 主人がいること前提だから一人では何もできないじゃないか。
 この、クソ封建社会がああああ!!」
みたいなことか……? そうじゃなかったらすいませんが、
正直現代になっても、この話のように不幸が山積みになって、
自分ではどうしようもできず、ただその日その日を
生きなければならないだけの状況なんていくらでもありますよね。

だから私はこの話がいちばんしんどかったです。
この話の女性の苦しみって別に古き制度のせいではなく、
万人に起こりうることだと思うから。
辮髪の有無で慌てる話や科挙で苦しむ話は
「わ〜中国って大変だったんだ」で済むかもしれませんが、
この話には時代背景関係ないですからね。
一人だけで生きていかなきゃいけないのも、
医者にかかっても病気が治らないことも普通です。

「そんなのもう身にしみて分かってるのになんでこんな話書いたんだ!?」
って逆ギレしたい……まあ、
「制度が変わればこんな悲しい話はなくなる。変わろう!」
って思いがあったのかもしれないけど、
経済的地盤がないと生きにくいのは100年そこらじゃ変わっていない……


(長くなったので分けました)