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都江堰(とこうえん、拼音: Dūjiāngyàn)は、中華人民共和国四川省都江堰市西部の岷江にある古代の水利・灌漑施設。現在でも5,300平方kmに及ぶ範囲の農地の灌漑に活用されており、古代の優れた土木技術を今に残すものである。
この堰により、成都盆地の5300km2に農業用水が導かれ、それまで水不足に苦しんでいた成都盆地は水田や桑畑などが急速に広がり水運も便利になり、「天府之国」と謳われる大穀倉地帯となった。都江堰は以後も改良や補修を加えられ、2300年後の現在もなお機能する古代水利施設である。現地には、李氷の偉業を讃え石像も建てられている。1982年には国務院の指定する全国重点文物保護単位の一つとなり、2000年には青城山とともにUNESCOの世界遺産の指定を受けた。
紀元前3世紀、戦国時代の秦国の蜀郡の太守李氷(李冰)が、洪水に悩む人々を救うために紀元前256年から紀元前251年にかけて原形となる堰を築造した。
李氷は、春の雪解け水が山々から殺到することで岷江が増水し、岷江の流れが緩やかになり川幅が広くなる地点で周囲に水があふれ出して毎年洪水になると判断した。ここにダムを造ることが一つの解決策であったが、岷江は奥地の辺境へ軍を送る重要な水路でもあるため完全に堰き止めることはせず、川の中に堤防を作り水の一部を本流から分け、その水を玉壘山を切り開いた運河を通して、岷江左岸の乾燥した成都盆地へ流すことを提案した。
李氷は昭襄王から銀十万両を与えられ、数万人を動員して工事に着手した。川の中の堤防は、石を詰めた細長い竹かごを川の中に投入して建設され、「榪槎」というテトラポッド状の木枠で固定された。大規模な工事には4年の歳月が費やされた。
岷江から盆地への運河を山を切り開いて建設することは、火薬や爆薬のない当時の技術では困難であった。玉壘山の岩盤を火で温めた後に水で冷ますことを、岩盤に亀裂が入るまで繰り返しながら少しずつ岩山が崩されていった。8年の工事により20m幅の運河が山の中に建設された。
北から南へと流れる岷江に中洲を造り、西側(金馬河)を岷江本流とし、東側(灌江)を農業用水として活用する。堰は川を分水する「魚嘴」、土砂を用水路から排出する「飛沙堰」、用水路側の水を運河へ導水する「宝瓶口」という3つの堤防状構造物からなる。
このほか川沿いの堤防(金剛堤・人字堤)、付属建築などもある。農地の灌漑・排砂・水運・街への生活用水の供給などを果たす、古代人の知恵を偲ぶことができる構造である。 [改訂履歴] |
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