登録 | ログイン  お問い合わせ  
strJobIdへようこそ!
中国の世界遺産
出会い言語交換中国百科ブログ日本求人中国求人
ホーム>>TOP>>メニュー
世界遺産関連ニュース
世界遺産映像ギャラリー
世界遺産写真ギャラリー
中国総合旅行情報
[TOP]
周辺地図
関連リンク
関連ニュース
中国の世界遺産一覧 [詳細情報付き]
万里の長城
北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
敦煌の莫高窟
始皇帝陵と兵馬俑坑
周口店の北京原人遺跡
泰山
黄山
武陵源の自然景観と歴史地区
九寨溝の渓谷の景観と歴史地域
黄龍 の歴史的風景区
承徳の避暑山荘と外八廟
曲阜の孔廟、孔林、孔府
武当山の道教寺院
ラサのポタラ宮
廬山国立公園
峨眉山と楽山大仏
麗江古城
平遥古城
蘇州の古典園林
天壇 :北京の皇帝の祭壇
頤和園 、北京の皇帝の庭園
武夷山
大足石刻
龍門石窟
明・清王朝の皇帝墓群
西逓村と宏村の古民居
青城山と都江堰
雲崗石窟
雲南保護地区の三江併流
高句麗の首都と古墳群
マカオの歴史市街地区
四川省のジャイアントパンダ保護区
殷墟
開平の望楼と村落
中国南方カルスト
福建土楼
三清山国立公園
五台山
「天地の中央」にある登封の史跡群
中国丹霞
杭州西湖の文化的景観
ワールドフレンド・ ネットワーク
エリア別総合情報
中国の都市総合情報
中国の省・直轄市・自治区総合情報
中国の広域総合情報(10地域)
中国の世界遺産所在地の総合情報
龍門洞窟(りゅうもんどうくつ)は、河南省洛陽市の南方13キロ、伊河の両岸にある洞窟寺院。

北魏の孝文帝が山西省の大同から洛陽に遷都した494年(太和18年)に始まります。仏教彫刻史上、雲崗期の後を受けた、龍門期(494年-520年)と呼ばれる時期の始まりです。

龍門石窟の特徴は、その硬さ、すなわち雲崗の粗い砂岩質と比較して、緻密な橄欖岩質であることです。そのため、北魏期においては、雲崗のような巨大な石窟を開削することが技術的にできませんでした。「魏書釈老志」にも、500年(景明2年)に宣武帝が孝文帝のために造営した石窟は、規模が大きすぎて日の目を見ず、計画縮小を余儀なくされた顛末を記しています。

様式上の特徴は、面長でなで肩、首が長い造形であり、全体的に華奢な印象を与える点にあります。また、中国固有の造形も目立つようになり、西方風の意匠は希薄となります。裳掛座が発達して、装飾も繊細で絵画的な表現がされるようになります。

最初期の「古陽洞」周辺に見られる私的な仏龕の造営に始まるが、先述の宣武帝の計画を受けて開削された「賓陽洞」3窟も、実際に完成したのは、唐の初期でした。その他、北魏時期の代表的な石窟としては、「蓮華洞」が見られます。また、北魏滅亡後も石窟の造営は細々とながらも継続され、「薬方洞」は北斉から隋にかけての時期に造営された石窟です。

唐代には、魏王泰が賓陽3洞を修復し、褚遂良に命じて書道史上名高い「伊闕仏龕碑」を書かせ、641年(貞観15年)に建碑しました。初唐の代表は、656年-669年(顕慶年間〜総章年間)に完成した「敬善寺洞」です。その後、「恵簡洞」や「万仏洞」が完成し、この高宗時代に、龍門石窟は最盛期を迎えることとなります。

その絶頂期の石窟が、675年(上元2年)に完成した「奉先寺洞」です。これは、高宗の発願になるもので、皇后の武氏、のちの武則天も浄財を寄進していますが、その本尊、盧舎那仏の顔は、実は当時既に実権を掌握していた武則天の容貌を写し取ったものと言われています。龍門最大の石窟です。

武則天の時代には、西山の南方、「浄土洞」の付近まで造営が及んだので、武則天末より玄宗にかけての時期には、東山にも石窟が開削されるようになりました。「看経寺洞」がその代表です。
  [改訂履歴]





  関連ニュース     



          中国求人

日本求人

求人特集

案件登録

人材登録
          コミュニティ

言語交換

出会いクラブ

          無料相談

就労許可&ビザ

住宅事情・住居探し

保険・年金

子供の教育

中国語学習
          利用規約

プライバシーポリシー

運営会社

お問い合わせ
Copyright(C) 2000 ALA!中国 (ALAWORLD.COM, ALAWORLD.NET). All rights reserved.