| | ラサのポタラ宮の歴史的遺跡群(らさ の ぽたらきゅう の れきしてき いせきぐん)は、西蔵自治区ラサ市にあるポタラ宮とその周辺の建造物のユネスコの世界遺産(文化遺産)としての総称です。
ラサは吐藩の首都で宗教・政治上の最高責任者ダライ・ラマの鎮座する場所でした。そのため、ラサはチベット文化の中心地として発達しました。ラサにあるポタラ宮をはじめとする建造物群は周辺の文化にも影響を与えチベット様式を確立。ブータン、北京、などにもその様式の影響が見られる建造物が存在します。
ポタラ宮は1642年、チベット政府「ガンデンポタン」の成立後、その本拠地としてチベットの中心地ラサのマルポリの丘の上に十数年をかけて建設された宮殿。標高3,700mに位置し、7世紀半ばにチベットを」統一した吐蕃王朝第33代のソンツェン・ガムポがマルポリの丘に築いた宮殿の遺跡を増補、拡充するかたちで建設され、ポタン・マルボ(赤宮)、ポタン・カルボ(白宮)をはじめとする様々な建物から形成されています。
ダライ・ラマを主としていただくチベット政府「ガンデンポタン」は、1642年、グシ・ハンよりラサをはじめとするチベットの中枢地帯の寄進を受けて発足したが、その当初はダライ・ラマが座主をつとめるデプン寺の兜卒宮(ガンデンポタン)に拠点を置いていました。1660年を期してポタラ宮殿に移転、20世紀にいたるまで、この宮殿を本拠としました。ダライ・ラマ13世は、清国滅亡の後、独立宣言を発したのを機にラサの西郊に新たにノルブリンカ宮を立て、夏はノルブリンカ、冬はポタラ宮を政府の所在地として併用しました。
1950年代に勃発したチベット動乱が1959年中央チベットに波及し、同年三月、ガンデンポタンはダライ・ラマとともにインドへ脱出、ポタラ宮は主を失いました。同年、「西蔵地方政府」(ガンデンポタンに対する中国政府の呼称)の廃止を宣言した中国政府はポタラ宮を接収し、現在は博物館として使用されています。
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