【このブログは2019年6月に旅した記録です】
1ユーロ=125円(2019年おおよそ平均レート)
さて、前回ジブラルタル海峡を渡ってアフリカ大陸に再上陸しアフリカのヨーロッパであるスペイン領のセウタのホテルにチェックインしたところでブログが終了したので今回はその続編だよ
それではいつものようにセウタの観光MAPを添付して置くので参考にしてね

さて、ホテルにチェックインしてさっそく観光に出掛ける(((o(*゚▽゚*)o)))
ホテルから一旦フェリー埠頭方面に戻ると目の前に何やらロータリーが見えその中央に像が建っている

これは中世ポルトガルの英雄エリンケ航海王子の像で彼がイスラム王朝からこのセウタの地を最初にポルトガル領にした立役者なのだ

エリンケ航海王子とは後のポルトガルの英雄でありポルトガルがスペインと並ぶ海洋大国となるきっかけを作った人物である
1415年にポルトガルがセウタを占領した当時は父親であるジョアン1世の治世であったが彼は早くから海洋進出することを唱えヴァスコ・ダ・ガマに命じアフリカの喜望峰を回るインドルートの開拓など海洋進出を推し進めた

後の甥のジョアン2世の治世になると1494年にスペインと西経46度37分を持って世界の海を2分したトルデシリャス条約を結ばれポルトガル海上帝国となっていったのである(((uдu*)

トルデシリャス条約に関しては以前にスペイン、ポルトガルのブログでも解説したがトルデシリャス条約は更に発展しジョアン3世の時代である1529年には両国の勢力下の海は世界を一周し今度は東でぶつかった為に東経141度を持って新たにスペインと東の境界線であるサラゴザ条約が結ばれた
このトルデシリャス条約は元々、教皇・アレクサンデル6世の承認によってキリスト教を布教するという名分を持っていたが事実上は両国の植民地分割ラインでありこのスペイン・ポルトガルから世界の海を奪ったイギリス・オランダもまたこの植民地政策・奴隷政策を継続した為に世界の途上国は長くヨーロッパに鞭打たれる悲劇が続いたのである
この悲劇を終わらせたのは皮肉にも我が大日本帝国のアジア圏における欧米列強の植民地への侵攻であった
ちなみにこの条約は植民地政策、奴隷売買など、後の世界に悲劇をもたらした条約として史上唯一の世界記憶遺産と言う世界遺産となっている![【o´m`o】]()