四川省成都は私にとっては父方祖父の戦闘機が撃墜戦死した場所であると共に、サラリーマン時代の中国顧客で度々訪れた思い出の場所でもあります。思えば金払いが悪くて面倒な顧客でした。経営状態が悪化して他社へ売却された時には部品代金の数百万円を踏み倒された苦い経験もあります。
それでも出張先で本場の四川料理が食べられるのが辛うじて救いでした。成都市内の老舗レストランでは、1862年に初代店主であばた顔(麻顔)の陳婆さんが作った豆腐料理が現在でも自慢の一品です。いつも成都市民や観光客で満席でしたが誰もが必ず注文する料理でした。
レストラン創業時代の中国は、洪秀全が起こした太平天国の乱(西洋キリスト教思想を基にこの世に天国創造しようとした乱)が、後に日清戦争で旧日本帝国と闘うことになる北洋軍閥と呼ばれる軍隊組織した李鴻章により鎮圧された混乱期でした。
そんな時代、四川省特産の唐辛子、花山椒、豆板醤、豆鼓などの調味料をもとに、安い豚肉の挽肉と刻みネギを入れた辛くて痺れる豆腐料理はいつしか陳おばさんにちなみ麻婆豆腐と呼ばれるようになり、評判が評判を呼び当時も遠方からも来客があったそうです。
時は流れて中華人民共和国の毛沢東時代、人民公社制度の下で国営陳麻辣(麻婆ではなく)豆腐店として営業していました。私が食事したその店には当時の店構えの様子の写真も飾られていたのを覚えています。
日本で言えば、本家とか元祖とか嘗ての歴史にあやかる店が幾つかありましたが、だからと言ってどの四川料理店でも麻婆豆腐が必ずあるわけではないのにも少々驚きでした。
ところで、この四川料理が美味しいからと言って調子に乗ってついつい食べ過ぎると、我々日本人のお腹には尋常ではない辛さのため胃腸が過敏に反応する場合もあります。特に翌日が飛行機で移動日だととんでもないしっぺ返しに遭った事もありました。ひやひやものでした。
現在台湾では台湾人の口に合うように辛さがマイルドに花山椒を微調整した四川料理店があります。日本でもインスタント食品でも辛口・中辛・甘口と手軽に味わえます。
やはりこの親子の料理人が麻婆豆腐の味を日本風にアレンジして一般大衆に広く知らしめ、四川料理の普及に努めたのは貢献大でしょうね。中華の鉄人、そしてあの画期的なTV番組だった料理の鉄人だった陳建一氏の訃報に接して思いました。
(ご本人調理の写真をお借りしました。)