私の故父親は東証一部上場の総合電機メーカーに勤務して、その子会社の社長まで勤め上げたバリバリのニッポンのサラリーマンでした。
そんな家庭環境で育ちましたので、私は都内の某私立大学を卒業したらサラリーマンになることがそれが当たり前だと思っていました。
ただ何となく海外に関わりのある仕事に就きたいと思っていたので商社に就職しました。欧米志向でしたが、幸か不幸か中華圏ビジネス一筋で中国&台湾駐在一筋のサラリーマン生活となりました。
自分では転職という選択肢は人生設計でなかったのですが、商社時代に関わったメーカーから台湾市場開拓の仕事に誘われて40歳を少し過ぎた頃に転職する決断をしました。
周りからは一通りの留意はありましたが、最後の最後まで熱心に引き留めてくれたのが先輩M氏です。ですが既に転職意思を固めていたので覆る事はなかったのです。
その先輩とは、数年後に奇しくも台北駐在で再会する事になるのですが、今度は私が台北から上海へ異動となりその後疎遠となっていました。
さて、その先輩が来月65歳の誕生日を迎えて長いサラリーマン生活にピリオドを打つとの連絡を久し振りに受けました。60歳以降は定年退職せずに同じ会社一筋で嘱託社員として勤め上げたわけです。
サラリーマン生活の最後の台湾出張で、コロナ禍もあり約4年振りに台北市内で会いました。ゴルフ好きなダンディぶりは相変らずでした。東京五輪時には米国駐在経験と得意の英語を活かしてボランティア活動もしたそうです。
私が転職先で定年退職を迎えて台北で起業したことは数年前に話していましたが、それぞれの近況報告をしたら、先輩は台湾装置メーカーから日本支社設立のお手伝いを誘われているとの事でした。本人は受けるかどうかまだ迷っていましたが・・・
何れにしても65歳過ぎても勤労意欲は満々でした。私の転職の引き留めからあっという間に20年が過ぎて、今度はビジネス関係の可能性も出てきました。
台湾で頑張っている私を褒めて頂きこそばゆく感じましたが、先輩とのご縁は不思議なものでこれからも大切にしたいです。
(御土産で福砂屋のカステラを戴きました。)