大阪マラソンのスタート地点でのパチリですが、歯に衣着せぬコメンテーターでモデルのアンミカさんが真っ赤なダウンコートを纏っていらっしゃいます。アンミカさんは大阪観光親善大使らしいのですが、もう一人大物が一番右端にいらっしゃいました。
マスクを掛けているので分かり難いのですが、2012年ips細胞でノーベル生理学医学賞を受賞された山中伸弥教授です。大阪マラソンのアンバサダーでこの日はスタートでの応援お見送りをして頂きました。
自ら月間300kmを走りこなして、私など不可能な3時間22分6秒がPB(プライベートベスト)の市民ランナーです。1962年生まれで私よりも3歳若く、研究など激務をこなしながらきっと凡人には到底理解不能な難しいことを思考しながら走るのでしょうか。
私が完走したもうひとつの大会、京都マラソン大会にはランナーとして参加されていました。実はこの大会の前々日は私の母親の命日でした。私の母親は私が大学生の頃くも膜下出血で大病を患い、それが原因で片眼を失明しました。
その後、海外旅行できるほどに身体は不自由ながらも回復はしましたが、晩年の脳梗塞で見えていた眼も失明しました。丁度ips細胞が世をにぎわせ始めた頃でしたが、故父親はそんな母親を不憫に思ったのか、ある日、京都大学ips細胞研究所へ出掛けたそうです。
ips細胞の技術を利用して母親の失明した眼が見える様にならないかどうかを訊ねに行ったのです。勿論、山中教授と直接面談した訳ではないのですが、研究所の方?が一般老庶民の訪問に対して懇切丁寧に対応してくれたそうです。
『現段階では、ips細胞の存在が認知された段階で失明した眼を復活させる事は不可能ですが、将来的にそのようなことも可能になるかもしれません。私共はその時のために日夜不断の努力をして研究し続けているのです。』
私がまだサラリーマン時代で台北から上海へ駐在異動となった時期で、この話は父親からの後日談なのです。この発想も伴侶を思っての事で、わざわざ京都まで新幹線に乗車して訊きに行った父親も父親で相当なものだと感心しましたが、確かにいつかそんな時代がくれば良いなとも思う訳です。
山中伸弥教授のご尊顔を拝してこんなことも思い出しながら難波大阪の街を走り切りました…