「いったい、わが顔良ほどな豪傑を、たやすく討ち取った敵とは、何者だろう。よも凡者であるまい」と、袁紹は、安からぬ顔色で周囲の者へたずねた。
沮授が答えて、
「おそらくそれは、玄徳の義弟の関羽という者でしょう。関羽のほかには、そうやすやすと、顔良を斬るような勇士はありません」と、いった。
しかし、袁紹は、
「そんなはずはあるまい。いま玄徳は、一身をこの袁紹に頼んで、ここへも従軍しておるのに」
と、疑って信じなかったが、念のため、前線から敗走してきた一兵を呼んで、
「顔良を討ったのは、どんな大将であったか、目撃したところを語れ」と、ただしてみた。
その刹那を見たという一兵は、ありのままにいった。
「おそろしく赤面で、髯の見事な大将でした。大薙刀でただ一撃に顔良将軍を斬ってしまい、落着きはらって首を赤い馬の鞍に結びつけて引っ返しながら――雲長関羽の道をさまたげるなと、広言を払って馳け去りましたんで」
袁紹は何ともいえぬ相貌をして聞いていたが、たちまち怒気を表に発して、
「玄徳を引ッぱってこい!」と、左右へ怒号した。
諸士は争って、玄徳の陣屋へ馳け、有無をいわせず彼の両手をねじあげて、袁紹のまえに拉してきた。
袁紹は、彼を見るなりいきりたって、頭から罵った。
「この恩知らずめ! よくも曹操と内応して、わが大事な勇将を義弟の関羽に討たせおったな。――顔良の生命はかえるよしもないが、せめて汝の首を刎ねて、顔良の霊を祭るであろう。者どもっ、忘恩の人非人を、わしの見ている前で斬りすてろ」

玄徳は、あえて畏れなかった。身に覚えのない出来事だからである。
「お待ちください。平常、ご思慮ある将軍が、何とて、きょうばかりさように激怒なされますか。曹
操は年来、玄徳を殺さんとしているんです。なんで、その曹操をたすけて、いま身を置く恩人の軍に不
利を与えましょう。……また赤面美髯の武者だったそうですが、関羽によく似た大将も世間にいないと
限りません。曹操は著名な兵略家ですから、わざとそういう者を探して、お味方の内訌を計らんとした
かも知れません。……いずれにせよ、一兵士の片言をとりあげて、玄徳の一命を召されんなどというこ
とは、余りに、日頃のご温情にも似げないご短慮ではございますまいか」
そういわれると「むむ……それも一理あること」と、袁紹の心はすぐなだめられてしまった。
武将の大事な資格のひとつは、果断に富むことである。その果断は、するどい直感力があってこそ生れる。――実に袁紹の短所といえば、その直感の鈍いところにあった。
玄徳は、なお弁明した。
「徐州にやぶれて、孤身をご庇護のもとに託してからまだ自分の妻子はもとより一族の便りすら何も聞いておりません。どうして関羽と聯絡をとる術がありましょう。私の日常は、あなたも常に見ておいででしょう」
「いや、もっともだ。……だいたい、沮授がよくない。沮授がわしを惑わせたため、こんなことになったのだ。賢人、ゆるし給え」
と、玄徳を、座上に請じて、沮授に謝罪の礼をとらせ、そのまま敗戦挽回の策を議し始めた。
すると、侍立の諸将のあいだから、一名の将が前へすすんで、
「兄顔良に代る次の先鋒は、弟のそれがしに仰せつけ下されたい」と、呶鳴った。
見れば、面は蟹の如く、犬牙は白く唇をかみ、髪髯赤く巻きちぢれて、見るから怖ろしい相貌をしているが、平常はむッつりとあまりものをいわない質の文醜であった。
文醜は、顔良の弟で、また河北の名将のひとりであった。
「おお、先陣を望みでたは文醜か。健気、そちならで誰か顔良の怨みをそそごう。すみやかに行け」
袁紹は激励して、十万の精兵をさずけた。
文醜は、即日、黄河まで出た。
曹操は、陣をひいて、河南に兵を布いている。
「敵にさしたる戦意はない、恟々とただ守りあるのみだ」
旌旗、兵馬、十万の精鋭は、無数の船にのり分れて江上を打渡り、黄河の対岸へ攻め上って行った。

沮授は心配した。
袁紹を諫めて、
「どうも、文醜の用兵ぶりは、危なくて見ていられません、機変も妙味もなく、ただ進めばよいと考えているようです。――いまの上策としては、まず官渡(河南省・開封附近)と延津(河南省)の両方に兵をわけて、勝つに従って徐々に押しすすむに限りましょう。それなら過ちはありません。――それをば軽忽にも黄河を打渡って、もし味方の不利とでもなろうものなら、それこそ生きて帰るものはないでしょう」
諄々と、説いた。
人の善言をきかないほど頑迷な袁紹でもないのに、なぜかこの時は、ひどく我意をだして、
「知らないか。――兵ハ神速ヲ貴ブ――という。みだりに舌の根をうごかして、わが士気を惑わす
な!」
沮授は、黙然と外へ出て、「――悠タル黄河、吾レ其ヲ渡ラン乎」と、長嘆していた。
その日から、沮授は仮病をとなえて、陣務にも出てこなかった。
袁紹もすこし云い過ぎたのを心で悔いていたが、迎えを重ねるのも癪なので不問にしていた。
その間に玄徳は、
「日頃、大恩をこうむりながら、むなしく中軍におるは本望ではありません。かかる折こそ、将軍の高恩にこたえ、二つには顔良を打った関羽と称する者の実否を確かめてみたいと思います。どうか私も先陣に出していただきたい」と、嘆願した。
袁紹は、ゆるした。
すると、文醜が、単身、軽舸に乗って、中軍へやって来た。
「先陣の大将は、それがし一名では、ご安心ならぬというお心ですか」
「そんなことはない。なぜそんな不平がましいことをいうか」
「でも玄徳は、以前から戦に弱く、弱い大将というのでは、有名な人間でしょう。それにも先陣をお命じあったのは、いかなるわけか、近ごろ御意を得ぬことで」
「いやいやひがむな。それはこうだ。玄徳の才力を試そうためにほかならん」
「では、それがしの軍勢を、四分の一ほども分け与えて、二陣に置けばよろしいでしょうな」
「むむ。それでよかろう」
袁紹は、彼のいうがままに、その配置は一任した。

こういうところにも、袁紹の性格は出ている。何事にも煮えきらないのである。戦に対して、彼自身の独創と信念がすこしもない
ただ彼は、父祖代々の名門と遺産と自尊心だけで、将士に対していた。彼の儀容風貌もすこぶる立派なので、平常はその欠陥も目につかないが、戦場となると、遺産や名門や風采では間に合わない。ここでは人間の正味そのものしかない。総帥の精神力による明断や予察が、実に、全軍の大きな運命をうごかしてくることになる。
文醜は、帰陣すると、「袁将軍の命であるから」と称し、四分の一弱の兵を玄徳に分けて、二陣へ退がらせてしまった。そして自身は優勢な兵力をかかえ、第一陣ととなえて前進を開始した。(149話)

―次週へ続く―