やがて陳登は、宵闇の道を、驢に乗って出て行った。そして玄徳の旧宅を訪れたが、玄徳には会わず、関羽、張飛のふたりを呼び出し、車冑の企てをはなした。
そう聞くや否、張飛は、
「さては先ほど、白々しい礼を執って、観月の宴に、お招きしたいとかいって帰った使者がそれだろう。小賢しい曲者めが」と、すぐにも軽騎七、八十を引具し、城内へ突入して、車冑の首を引きちぎってくると、はしゃぎたてた。「あわてるな、敵にも備えのあることだ」
関羽は、彼の軽忽をたしなめ、一計を立てて、夜の更けるのを待った。
「家兄の耳に入れるまでもない些事に過ぎん。ふたりだけで、黙って片づけてしまおう」
関羽の思慮に張飛も服した。
そして共に、彼の立てた計略に従った。
さきに許都からついてきた五万の軍隊は、曹操の旗じるしを持っている。関羽は、その旗幟を利用して、まだ霧の深い暁闇の頃、粛々と兵馬を徐州の濠ぎわまですすめて行った。
そして、大音声をあげ、
「開門せよ、開門せよ」と、呼ばわった。
時ならぬ軍馬に、
「何者だ」と、門内の部将は、すくなからず緊張して、容易に開ける様子もない。
関羽は声を作って、
「これは、曹丞相のお使いとして、火急の事あって、許都より急ぎ下ってきた張遼という者。疑わしくば、丞相より降したまえる旗じるしを見よ」
と、暁の星影に、しきりと旗幟を打ち振らせた。

折も折、曹操からの急使と聞いて、車冑は、思い惑った。陳登はそれより前に、城内へ帰っていたので、彼が狐疑しているていを見ると、
「何をしているのです。早く城門をお開けなさい。あのとおり丞相の旗を打ち振っているではありませんか。もし使者の張遼の心証を害して、後難を受けられても、それがしは関知しませんぞ」 と、暗に脅かした。
車冑もさるものである。陳登にせかれたり脅かされたりしても、
「いや、夜明けを待って開けても遅くはない。何分にも、まだ城門の外は暗いし、前触れもない不意の使者、めったに開けることはならん」と、云い張っていた。
夜が明けては万事休すである。関羽は気が気ではなく、
「開けないか! 火急、機密の大事あって、曹丞相からさし向けられたこの張遼を、何故、城門を閉じてこばむか。……ははあ、さては車冑には異心ありとおぼえたり。よろしい、立ち帰って、この趣をありのまま丞相におつたえ申すから後に悔ゆるな」
云い放って、後にしたがう隊伍の者へ、引っ返せとわざと大声で号令を発していた。
車冑は狼狽して、
「あいや待たれよ、東の空も白みかけて、実否のほども、仄かにわきまえられて参った。丞相のお使者に相違あるまい。――お通りあれ」
と直ちに、城門をさっと開かせた。
とたんに、濠の面にたちこめた白い朝霧が濛々とはいってきた。その中をどかどかと渡ってくる兵や馬蹄の跫音は余りにも夥しかった。けれど夜はまだ明けきれていないので、顔と顔とをぶつけ合わせなければ、誰が誰やら分らなかった。
「車冑とは君か」
関羽が近づいて行くと、変に思った車冑は、突然、
「――あッ、汝らは?」と絶叫をのこして、すばやく何処かへ逃げてしまった。
沛然と、ここ一箇所に、血の豪雨がふりそそぎ、城中の兵は、みなごろしの目に遭った。
大半の城兵は、まだ眠っていたところである。そこへ関羽、張飛の手勢一千は、前夜から手具脛ひいて来たのであるから、大量な殺戮も思いのまま行われた。
陳登は、いちはやく、城楼に駈けのぼって、かねてそこに伏せておいた沢山な弩弓手に、
「車冑の部下を射ろ」と、命じた。
弓をつらねていた兵は、味方を射ろという命令にまごついたが、陳登が剣を抜いてうしろに立っているので、一斉に、逃げまどう味方の上に矢を注ぎかけた。
乱箭の下に仆れる城兵も無数であった。城代の車冑は、厩から馬を引き出すと、一目散に、門楼をこえて、逃げだしたが、
「この虻め、どこへ失せるか」
追いしたってきた関羽の一閃刀に、その首を大地へ委してしまった。
夜が明けた。
玄徳は、変を聞いて、
「大変なことをしてくれた」 と、俄に家を出て、徐州城へ馳せつけようとすると、すでに関羽は鮮血淋漓となって車冑の首を鞍にひっくくり、凱歌をあげながら引き揚げてきた。

ひとり浮かぬ顔は、それを迎えた玄徳で、
「車冑は、曹操の信臣、また徐州の城代である。これを殺せば、曹操の憤怒は、百倍するにちがいない。自分が知っていたら、殺すのではなかったのに」と、悔やんだ。
そして、この中にまだ張飛の姿が見えないがと、案じていると、その張飛もまた、ひと足あとから、これへ駈けもどってきて、
「ああ、さっぱりした。朝酒でもぐっと飲みほしたような朝だ」と、血ぶるいしていた。
玄徳が、眉をひそめて、
「車冑の妻子眷族は、どう処分してきたか」
と訊ねると、張飛は、いと無造作に、
「それがしがあとに残って、ことごとく斬り殺して来ましたから、ご安心あって然るべしです」
と昂然、答えた。
「なぜ、そんな無慈悲なことをしたか」
玄徳は、張飛の狂躁をふかく戒めたが、叱ってみても、もう及ばないことだった。許都の曹操に対して、彼の憂いと畏怖は人知れず深かった。
その後、玄徳は徐州の城へはいったが、彼の志とは異っていた。しかし事の成行き上、また四囲の情勢も、彼に従来のようなあいまいな態度や卑屈はもうゆるさなくなってきたのである。
玄徳の性格は、無理がきらいであった。何事にも無理な急ぎ方は望まない。――今、曹操とは正しく相反いたが、それとてもこんどのような事件を惹起して、曹操の怒りに油をそそぐようなことは、決して、玄徳の好むところではなかった。
「曹操の気性として、かならず自身大軍をひきいて攻めてくるであろう。何をもって、自分は彼に抗し得ようか」
彼は、正直に憂えた。「ご心配は無用です」 陳登が彼にそういった。

玄徳はあやしんで、その理由を反問した。すると陳登は、
「この徐州の郊外に、ひとり詩画琴棋をたのしんで、余生をすごしている高士がおります。桓帝の御世宮廷の尚書を勤め、倉厨は富み、人品もよく……」と、まるで別なことを話し出した。
「陳登、其許はわれに何を説こうというのか」
「さればです。もしあなたが、今の憂いを払わんと思し召すなら、いちどその高士鄭玄をお訪ねなされては如何かと?」
「書画琴棋の慰みなどは、玄徳の心に何のひびきもない」
「彼は世外の雅客ですが、あなたにまで、風月に遊べとおすすめ申すのではありません。――高士鄭玄と、河北の袁紹とは共に宮中の顕官であった関係から三代の通家であります」
「……?」
玄徳は、深い眼をすました。
「――いま曹操の威と力とを以てしても、なお彼が常に恐れはばかっている者は、河北の袁紹しかありません。河北四州の精兵百余万と、それを囲繞する文官、武将、謀士、また河北の天地の富や彼の門地など、抜くべからざる大勢力です。失礼ながらまだまだあなた如きは、そう彼の眼中にはないでしょう」
「……うム」 玄徳は苦笑した。――そうだ曹操の眼にはまだ自分などは――と、みずからほくそ笑んだのである。(127話)

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