77回目の終戦記念日を迎えました。例年気にしながらも何となく過ぎてしまうのですが、日本から台湾への帰国で自宅隔離の待期期間最終日に全国戦没追悼式を拝見し、正午には戦没者への御霊に黙祷をしました。
私の祖父(父方)は職業軍人(海軍航空隊所属)でした。1939年11月4日中国四川省成都で搭乗していた戦闘機が迎撃されて被弾後に戦死しています。サラリーマン時代2015年12月に墜落場所を親族としては初めてその地を訪れて花を手向けました。
昨日は太平洋戦争の行方を左右したミッドウェー海戦に関するドキュメンタリーも拝見しました。
この海戦から今年で80年になります。作戦指揮官のたった5分の判断ミスで航空母艦4艘ほか沈没、航空機と優秀なパイロットを含めて3千名以上の損失を被ります。
大本営はこの敗戦の事実の公表を隠し日米戦の戦況は一挙に逆転して敗戦まで突き進みます。日本の運命の5分とも呼ばれています。
ちなみに損失した航空母艦の中の一艘が飛龍でした。実は私の祖父は戦死する直前に中国大陸から洋上への転任通知が出されていました。故父親の話では飛龍艦長を拝命する予定だったと言い残しています。
さて終戦記念日のこの日、ロシアとウクライナとの戦争、最近の中国と私が居住する台湾との状況が悪化しないことを思い恒久平和を願わないではいられませんでした。