やはり
1990年の夏ですね
(きっと何回も書いてる話が多数なはず)
サンフランシスコの近くにある
カリフォルニア大学バークレー校に
夏休み期間に短期語学研修という名の
長めの海外旅行に行ったことですね
中学高校あたりから
私の頭の中は
アメリカの映画や音楽などの文化で
溢れかえっていたので
実際に短期間だけですが
日常ごとアメリカ文化に浸ることが出来て
両親に感謝しかなかったです
その短期語学研修の期間の中でも
印象的だったこと
無理矢理3つだけ挙げると…
?
ロバート・メイプルソープの写真展を
サンフランシスコで見に行けたこと
父の影響で子供のころから
海外の写真家の写真集を
日常でパラパラ眺めることが多かったのです
ロバート・メイプルソープや
アンセル・アダムスや
アンリ・カルティエ・ブレッソンの
作品に特に惹かれていたかなぁ…
それが、たまたま
サンフランシスコの大きな美術館?博物館?で
ロバート・メイプルソープ展に出くわすなんて
めちゃくちゃラッキーでした
語学研修の滞在中は
大半は大学の学生寮に暮らしていましたが
数日だけホームステイをしました
そのホームステイ先のおばあちゃん+ママ
中国系アメリカ人^ ^
パパは白人のMcDonaldさん一家
海軍に勤務されているファミリーでした
サンフランシスコの大きなチャイナタウンも
滞在中に何回も連れて行ってくれて…
いま振り返ると
アメリカに行っても
中国との繋がりが強かったな、と。笑
語学研修がもうすぐ終わる
後半の出来事でした
イラクがクエートに侵攻、
一方的にクエート併合を宣言しましてね…
そのニュースを
学生寮の一階にある大きなテレビで
世界各国から語学研修に来ているみんなで
無言のまま固唾を飲んで見ていました…
はい、湾岸危機
のちに始まる湾岸戦争のきっかけです
国籍なんて関係なく、縁あって
同じタイミングで世界各国から集まった仲間と
テレビから流れる現実が
あまりにも差がありすぎて…
Middle East Crisis
ずっと頭に残る単語
ホストファミリーはパパもママも海軍勤務
私が日本に帰ったあと
この戦争に翻弄されていきました…
1990年の夏は忘れられない夏
ちなみに、
翌年の1991年の夏は、兄と二人旅の北京
昔から、どんだけ中国なんだよ
一応、1992年以降は
数年間ずっと、アメリカ本土ばかり行く
リピーターになっていましたが
金城武や陳暁東のせいで(笑)
1998年以降は
香港・台湾リピーターに変貌していきます
全て、ミーハー魂のせいです
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