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| 日本語教育、異文化交流・相互理解、他言語習得(英語・西語・中国語学習中)などについて考える。日本語教師の記録。土・日・月・祝日は更新なし。
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| 2024-03-28 00:30:01
03月27日(水)、晴のち曇。朝は陽が差して気分を明るくする。が、分厚い雲が張り出して、あたりは暗くなる。明日は、晴れる予定。西総合スポーツセンターでの地震の罹災証明発行の対応は続いているが、今週からどういうわけか、1周500メートルのトリムコースが使えるようになった。晴れたら、ジョギングができる。うれしい。 栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテイテイ」の引用を続ける。 「たしかに、そのころの中華民国の国民といえば台湾をふくめ、北はモンゴル、西はウイグルやチベットまでが「自分の国」と教えられて育ったので、幼なごころに信じていたものを裏切られたという思いが、現在のHさんの「台湾サイズ」の「台湾人アイデンテテイー」を強めていることは間違いがなかった。しかし、台湾の人々がそうした台湾意識を求めるこころは、戦後に中華民国になってから抱かれるように... [続きを読む] |
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| 2024-03-27 00:30:13
03月26日(火)、雨。時折、激しく降る。自分の健康のための外の運動は、あきらめるしかない。夕食の材料は、悪天候を予想して買っておいた。 いい写真とは何でしょう? それはつまり「感情が伝わる写真」のことです。 「感情が動いたときに写真を撮る」 それだけでいいんです。 (幡野広志『「いい写真」はだれでも撮れるものです。』 栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテイテイ」の引用を続ける。 「(前回からの続き)そういった台湾美術史に連なる作品のことを調べにKへとやってきたのが、台湾美術史の研究者であるHさんとドキュメンタリー映画監督のLさんだった。Hさんは台湾大学で歴史を学んだあと、幼い娘さんをつれて日本へと留学、東大で東洋美術史を修めて博士号を取得した才女である。 わたしが骨董店Kで初めて会ったとき、 ... [続きを読む] |
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| 2024-03-23 00:30:00
03月22日(金)、晴時々曇。空気は冷たい。陽がさす午前中、昨日に引き続き、地域周り。角田山の雪割草が咲き始めましたよ、などの情報も伝えた。軒数が少ないので、6000歩。引き続き、海岸沿いの散歩コースを歩く。合計11000歩。近くの小学校は、卒業式。それらしき親子連れの歩く姿が多く見られた。その後、市の図書館に行き、7冊(今紹介している本も)返却し、4冊借りた。 栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテイテイ」の引用を続ける。 「(前回からの続き)戦後すぐに蒋介石が中国から台湾へと持ち込んだ台北の故宮博物館の美術品がおよそ70万件ということを思えば、社長が買い貯めた量が半端ではないのがわかる。だから当時は、台北の故宮博物館にも負けないほどの優品を所有したこともあったが、それについて社長はこんなことをいっていた。「所有したというより、自分の手のうえを通り過... [続きを読む] |
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| 2024-03-22 00:30:37
03月21日(木)、曇のち晴。朝方、雪。屋根や道路がうっすらと雪に覆われた。寒い。午前中、地域読書会。課題図書は、『良寛を歩く』(水上勉著、集英社文庫他)。わたしが提案した著作だが、参加者から総じて「おもしろかった」という感想が出た。午後は、歩いて地域周り。10000歩を超えた。 栖来ひかり氏の『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテイテイ」は、骨董店KのC社長の話から始まっている。引用の後先を間違えた感があるが、最初の方を引用する。台湾のアイデンテイテイに関わるおもしろい部分ではある。 「「小故宮」と呼ばれた骨董店 骨董店KのC社長は台中の生まれである。生まれ年は1928(昭和3)年で、わたしの祖母と同じなのでよく覚えている。 社長の実家が台湾でよく知られる財閥にもつらなる名家で、出入りの骨董屋がおり、何人もいる兄たちが買ったあとの売れ残りを社長が蒐集... [続きを読む] |
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| 2024-03-20 00:30:29
03月19日(火)、晴のち曇。陽射しが戻ってきたが、長続きしない。そして、思ったような暖かさが戻ってこない。が、先日(16・土曜)、雪割草を見に、角田山へ行った。いろいろあり、忙しく、宮前コースの5合目まで行って帰ってきたが、雪割草を何度か鑑賞することができた。 栖来ひかり氏が「Y字路」という発想を得たのは、横尾忠則氏の影響である。次のように書いている。 「Y字路の定義とはなんだろう。 まずは言葉どおり「Y」のかたちをした三叉路のことであるだろう。 この言葉を発明したのが、わたしの敬愛するアーテイストの横尾忠則氏ということも自明である。横尾氏の代表作「Y字路シリーズ」は、氏の故郷のY字路風景を起点として、さまざまなY字路風景に過去・現在・未来・空想・現実の表象を描きこんだ、魅惑的な絵画シリーズだ。絵画だけでなく、雑誌『東京人』で連載された写真シリーズもある。わたしが本書を上梓できたのも、Y字... [続きを読む] |
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| 2024-03-16 00:30:24
03月15日(金)、晴。青空が広がって、陽光は春だが、強風は冬だ。冬と春が混じり合った陽気。梅は咲いても、桜はまだ。(写真)今日の空と空き地に咲いた梅。 この著者の栖来さんは、大学時代は「美術」が専攻で、その面の造詣が深い。C社長の骨董店Kで働いたこともある、と書く。『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテテイーを探して」の引用を続ける。 「(前回からの続き)かつての台湾の若き芸術青年たちの心の躍動を知って真っ先に思い出すのは、今のわたしの周りにいる台湾人の友人たちの顔である。デザインや文学、美術、音楽、映画、あらゆる文化的なベクトルにおいて、台湾カルチャーを生み育もうと日々邁進している彼ら。その萌芽はすでに100年も前からあった。ではなにが、それらを阻んできたのだろうか。日本時代の美術の現場に立ち会った画家・立石鉄臣はこう分析する。 「美の本源を知るすべで... [続きを読む] |
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| 2024-03-15 00:30:37
03月14日(木)、曇時々晴、一時雨(霰)。午後から大風が吹く。この天気の中、友人の庭師から冬囲いの撤去をしてもらった。晴れ間をみながら、半日で終わらせてくれた。ありがたい。 『時をかける台湾Y字路』の12章「描かれたY字路 台湾アイデンテテイーを探して」を「陳澄波」との関連で取り上げたのだが、あらためてこの章を読み直すと、「台湾のアイデンテテイー」に関わる、そして、台湾・中国・日本の近現代史に関わる重要で、面白い部分であることがわかる。とりあえず、昨日の続きを引用する。 「(昨日からの続き)一方で、顔娟英氏は台展に参加した若者たちについて、こうも書く。 「台湾の特色を創造するというスローガンは、むしろ台湾人の新世代の興味を惹きつけ、彼らを熱心に参与させたということである。清代の台湾は辺境であり、一般人は土地を開拓したり科挙を受けるぐらいしか社会的に上昇してゆく機会はなかった。19... [続きを読む] |
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| 2024-03-14 00:30:57
03月13日(水)、曇時々雨。寒い日が続く。風や雨で寒さが増す。「Heat shock(ヒートショック)=温度の急変で受けるからだの衝撃。冷凍庫で作業した後、急に真夏の炎天下に出たときや、暖房の効いた部屋から寒い廊下に出たときなどに起こる。脈拍や血圧が上昇して、心筋梗塞や脳卒中を引き起こす要因となりうる。」(デジタル大辞泉) 最近、歳を重ねたせいか、「暖房の効いた部屋から寒い廊下に出たとき」嫌な気分になる。昔は、そんなでもなかったのに。冬の寒い時期は、どこか暖かいところに脱出したい、と思う。 『時をかける台湾Y字路』の引用は、12章「描かれたY字路 台湾アイデンテテイーを探して」に飛ぶ。 「(前半略)同じことは、戦前の台湾美術界でも起こった。絵を志す多くの台湾の学生たちが東京美術学校(現・東京藝術大学)で学び、帝展にも出典し、次々と台湾独特の風景をモチーフに作品を発表... [続きを読む] |
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| 2024-03-13 00:30:24
03月12日(火)、曇時々雨。せっかくあたりの気温が上がってきたのに、雨が降るととたんに下がる。寒い。午前中、バスである会議に出かけた。バス内では集中して本が読めるので、私にとっては快適な時間。『台湾侵攻に巻き込まれる日本』(半田滋著、あけび書房)を100ページまで読んだ。 『時をかける台湾Y字路』(3章 タイムカプセル、ひらく)からの引用を続ける。陳澄波の絵がどうしても気になる。 「(前回に続く)実際、台湾総督在任期は1926年から28年のわずか2年だったものの、上山はその間、原住民族の暮らしや文化に高い関心を持って原住民族の暮らす山々を熱心に視察して回っていたという。上山を研究している児玉識(しき)氏は、アニミズムと祖霊信仰を大切にする台湾の原住民族に上山は日本人が失ってしまった精神の原型をみていたのではないかという。 また、ある台湾の知人は、もし上山があと2年先... [続きを読む] |
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| 2024-03-09 00:30:54
03月08日(金)、晴のち曇。午前中、地域の健康友の会の「ご苦労さん春の集い」(日頃のニュース配布活動などへの慰労会)があり参加。薬剤師さんから、健康食品やサプリメントの話を伺った。豪華な昼食弁当も出て、持ち帰って食べた。久しぶりに一般道でジョギング。 『時をかける台湾Y字路』(3章 タイムカプセル、ひらく)からの引用を続ける。著者の栖来ひかり氏は、「表記」について次のような解説をつける。 「表記について・本書では、日本のメデイアで一般的に用いられる「先住民」のかわりに「原住民族」という名称を使用している。これは当事者である原住民族が「正名運動」という民主運動によって勝ち取った名称であることを尊重するものである。 ・日本の植民地期について、台湾では「日治時代」「日據時代」とイデオロギーによってさまざまな呼称が用いられるが、最近は研究者の中でも「日本時代」が定着しつつある(当時の台... [続きを読む] |
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