|
| |
|
| 2024-04-17 07:26:12
(※今回は中国と関係ない話題から入りますが、後の方で中国音楽の状況も出てきます。よろしければお読みください)ジョージ・ガーシュウィン(1898−1937年、↑写真)が作曲した「ラプソディー・イン・ブルー」について「黒人音楽を盗んだ」と主張する人がおり最近では専門家の間でもそのような声は強まっているそうだバカなことを言うヤツがいるものだジョージ・ガーシュウィンは東欧系ユダヤ人の移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれた最初は当時の白人の流行音楽の作曲家として成功その後いわゆるクラシック音楽の分野も志して1924年発表した「ラプソディー・イン・ブルー」で大成功したこの曲は黒人の音楽に起源を持つジャズの要素を取り入れていることで知られるたしかにガーシュインは黒人の血を受けていないということで黒人音楽の特徴を取り入れた曲を書いたら「盗んだ」ことになるのか?ここで考えねばならないのはガーシュインは何を考えてこの... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-04-16 02:42:57
中国大陸では15日午前0時までに山西省から黒竜江省に向けての南西から北東に伸びる広い範囲で強い黄砂現象が発生した気象庁によると16日から19日ごろにかけて日本の広い範囲に黄砂が飛来する見込み16日午後3時ごろには対馬にはすでに飛来し範囲は九州北岸に迫る17日午前0時には九州と中国地方のほぼ全域と四国北西部に飛来黄砂の飛来範囲は東に移動し18日午前0時には本州のほぼ全域が覆われる画像は気象庁による18日午前0時の黄砂飛来予測地図
[続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-04-02 12:58:07
本稿でご紹介するインド音楽・タブラの演奏動画は【こちら】から 私はいわゆる「民族音楽」もよく聴くインド音楽については決して詳しくはないのだけど最近はよく耳を傾けるようになりその魅力が何となく分かってきたかな?という状態ですさてさて本日は面白い演奏を見つけたタブラという楽器の独奏タブラはインド音楽でよく使われる打楽器で複数個を組にして奏する収録時間は50分を超えているライブの記録だから演奏以外の時間もあるのだけどタブラの独奏でどうやってその時間を持たせるのかと思ったタブラはとても多彩な音色を出せる楽器だけど旋律を出せない楽器でどうやってその時間を持たせるのか聴き始めて分かったサーランギという擦弦楽器だサーランギは独奏楽器としても使われるけどこの演奏では派手な旋律をは扱わずというか単調な同じ旋律だけを繰り返すそこでふと前にやはりインド音楽でよく使うタンブーラーという楽器の使い方の説明を読んだ... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-03-18 07:04:30
と言うことで何かを考えたら試したくなるわけです今 やっているのは「茶がら」を作ってのたい肥づくりなにある日に茶がらを見て「これってたい肥にならないか?」と思っただけの話です「試したくなる」と言っても行動に移すにはいろんな条件があるまずは・費用がかからないこと・体力を消耗しないこと私は色男じゃありませんけど「カネと力はなかりけり」ですからねそれから・細かい作業を必要としないこと私の場合器用とは言えませんからねというかどーしよーもない「超ブッキー」ですからさらに・続けられることも大きな条件問題は努力を特に必要としなくても忘れてしまうことがあること(忘れる公算が高い)「茶がらでたい肥を作る」はこれらの条件を全て満たしているというわけです急須を使って毎日茶を飲みますすると茶がらが出続ける新たな茶葉を使う場合には急須から茶がらを取り出さねばならぬならば忘れることはないだろうと判断したわけですさてさて始めたの... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-03-13 09:11:00
北京市内にある人民大会堂に1度だけ入ったことがありますそれも全人代の時なんかに画像や映像がよく紹介される大会議場に私が全人代に出席したわけではない今となっては忘れてしまいましたけどなんかの催しがあったたしか中国風のオペラかなんかだったかなあ人民大会堂では共産党とか政府の肝いりで行う催しで人民大会堂を使う場合があるわけですもちろん政治的に強調したい催しですでもって私が入ったその催しはチケットを販売しての興行ではありませんでした私の留学時代でいろんな職場とか教育機関にチケットが配られるわけですよそれを入手できた今となっては当たり前のことですが入口のところでかなり厳しい荷物検査を受けたことを覚えていますさてさて舞台はどんどん進行していくわけですが「聴かせどころ見せどころ」の曲が終わると客席から拍手が湧き上がるわけですおどろいたのはその時掲載した写真で客席側から見た舞台の左右と上方にある窓が並んでいるみた... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-03-13 08:46:40
「中国の国会」とも呼ばれる「全国人民代表大会」ま日本の国会とはずいぶんと違うのだけどそのことはさておいて日本では「全国人民代表大会」が「全人代」と略されることが多いけど中国ではこの略称が用いられませんなぜか結論を先に言えば「全国人民代表大会」の構成は「全国」+「人民代表」+「大会」であるから「人民代表」は1語扱いなので「人民」と「代表」には分けられないだから「全人代」と略したのでは違和感が生じるというわけです「人民代表」とは「人民の代表」ということで「人民を代表して審議に加わったり提案をしたりする」という役職日本風に言えば「議員」ですな中国人はとにかく長ったらしい言葉が嫌いですから普段は「代表」という言葉で済ませてしまいますけど「人民代表」とすることもありますでは「全国人民代表大会」をどう略すか中国人の言葉感覚で「全国人民代表大会」みたいな8文字もある語は「ありえね〜」ですからねまず「人民代表大会... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-03-10 13:08:46
なぜか頭の中にゲゲゲの鬼太郎の歌が鳴り始めたわけです「ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ〜」で次の瞬間にこの歌詞を中国語訳するにはどうすればよい?と思ってしまったわけですしかも歌える歌詞にしたい「ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ〜」なんて部分はどうすればよいなどと思ってしまったわけですもうこうなると止まらないううむ中国語ならば漢字の意味や雰囲気を生かしたいよなあ中国民謡の歌詞でよく使われる「?」とか「?」の文字も使いたいなあということで「ゲッ ゲッ ゲゲゲのゲ〜」は「怪 怪 怪怪怪?怪〜」にしたらどうだろうということで頭の中はますます止まらない他の作業をしていても脳内で翻訳作業が続く結局こんな風になりました-------怪 怪 怪怪怪?怪〜大家一起唱起来? 怪怪怪?怪〜快?呀 快?呀魔鬼不需上学?〜不用参加考??怪 怪 怪怪怪?怪〜大家一起唱起来? 怪怪怪?怪〜-------相当する部分の原詞は↓------ゲッ ゲッ... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-02-26 05:01:03
チョイと気づいた秦の始皇帝の生涯についてのチョイとしたこと生まれたのは紀元前259年2月18日没したのは紀元前210年9月10日ということで49歳と7カ月ぐらいの生涯案外 短かったでもって始皇帝が秦王即位したのは紀元前247年7月6日当時の中国は戦国時代末期で生き残っていた主要国は「戦国七雄」と呼ばれる秦を含めての7国だったのだけど始皇帝の即位後に(まだ「始皇帝」と称していたわけじゃないけど)秦は残りの6国を次々に滅ぼしたでもって6国が滅びた年と始皇帝の年齢と在位してからの年数を示すならば韓 紀元前230年 29 17趙 紀元前228年 31 19魏 紀元前225年 34 22楚 紀元前223年 36 24燕 紀元前222年 37 25斉 紀元前221年 38 26となる(始皇帝の年齢と在位年数は各国が滅びた年から生年と在位年を単純に引き算して算出)ということで最後に斉を滅ぼして中国を統一したのが38歳の時始... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-02-03 08:37:26
前に務めていた会社が業務提携していた中国の放送局の記者兼アナウンサーが日本に出張した際にお会いしたことがありましたその時に聞いた話です彼女はその局の「日本語部」に所属していて日本語能力が抜群ということで主に日本語で会話したました中国の「業界事情」をいろいろ教えてもらったのですけどなかなか厳しい競争があると教えられました当時の日本では女子アナが容姿とかキャラクターを重視して選ばれるようになったのでアナウンス能力が低下しているのではないかてなことが言われていました彼女に「中国に同様の状況はあるか? 同様の状況が発生する可能性はあるか?」と尋ねたところ「そのような状況はないし 今後もないだろう」とのことでしたアナウンサー特に全国放送を担当するアナウンサーになるにはとっても厳しい競争がある外見がよければもちろん有利だけどそれ以前にアナウンス技術がしっかりしていないと「話にもならない」とのことでしたそれから... [続きを読む] |
|
|
|
|
|
| 2024-01-30 05:33:54
ふと思い出した私の伯父と中国人には古くて深いつながりがあった私の父は男だけの四人兄弟の末っ子で一番上の兄は野球選手になり二番目は新聞記者になり三番目はケーキ職人になり四番目の父が稼業を継いだ三番目の伯父から生前に聞いた話戦争中には兵隊にとられれて中国戦線にいたそうだとはいえ実戦経験はほぼなかったそうだでもって敗戦になってから復員したのだけど仕事がない私の両親はいずれも神戸出身でまあ神戸も空襲でボロクソにやられた私の母は焼き付くされた街で死体をたくさん見たというし父は戦闘機の機銃掃射を受けたことがあるそうだでもって伯父はしばらくしてから洋菓子屋で働くことになったまあもちろん見習いからの修行でもってその洋菓子屋の経営者の親方は中国人だったそうだううむ当時の中国人で洋菓子職人かあなんかしっくりこないなあで後になってからふと思いついた戦前の上海は東洋一のモダン都市日本の大都市よりもよほど西洋文化が浸透して... [続きを読む] |
|
|
|
|
|