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  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語31、へトアラ城と身分制度     
2018-12-15 00:26:40


城はヘトアラ(赫図阿拉)城、満州語で「横に長い丘」と命名、 後に中原の主になってからは「興京」と追尊された。 築城は中州の中央になされたが、南、東西には広大な土地が広がり、 数万人規模まで徒党が増えても収容できるほか、演習場を作る余裕もあった。 この城を拠点とし、後金は急速な発展を遂げる。   拠点を安定させると同時に身分の分類も行われるようになる。 後の皇族制度の基礎がこの頃から整備され始めた。 「宗室」は、ヌルハチの父タクシの兄弟の子孫らまで、つまりはいとこの子孫までとし、 後には黄金色の帯をつけることが許される。 清朝の政権が確立してからは、等級ごとに俸禄を支給される。 「覚羅(ギョロ)」は、一族、やや近い親戚とでもいおうか。 フマン(福満、曽祖父)の子孫、ジェチャンア(覚昌安、祖父)の子孫、 つまりは「はとこ、またはとこ」の子孫と規定し、赤い帯を身につけるこ... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語30、フィアラ城が手狭に     
2018-12-12 00:26:40


十六年後にこの地を離れざるを得なくなった理由は、情勢変化に伴う人口過多だ。 小さな勢力だった時は、守りやすく、ちょうどよい規模だった城も たて続く戦勝で兵力が拡大し、収まりきらなくなったのである。   城内に四五箇所ある井戸だけでは、千人規模に増えた郎党とその家族の生活用水を賄うことができず、 人々は下の河まで水を汲みに行った。 春から秋までは桶でかつぎ、冬になると凍った河の水をのこぎりで切り出し、 荷車に乗せてえっさわっさと城門に続く坂道を押して上がる。 交差する荷車の絶えないことはいうに及ばず、数人の労働力を占拠する余計な仕事である。 ヌルハチが新たに見つけた場所は、なんと元の住まい、先祖代々住み着いた地であった。 フィアラ城からの距離はわずか五里、やはり蘇子河と加哈河に挟まれた中州だが、 フィアラ城と違い、高台ではなく、面積も圧倒的に広かった。 味方... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語29、フィアラ城の建設     
2018-12-08 23:48:54


フィアラ(費阿拉)城の場所は、 ヌルハチ一家が先祖代々暮らしていた場所から遠くない(現在の遼寧省の東端・新賓県)。 フランハダ(呼蘭哈達=満州語の「煙突の峰」の意)山の麓にある二本の河、 ジャハ(嘉哈)河とシュリ(首里)河の間の高台である。 険しい山に囲まれて少数の谷の入り口を守りやすく、四方を川に囲まれた中州だ。 そこに内城と外城の二重に囲った城壁を作った。 内城にはヌルハチ一族百戸余り、外城には諸将と族党が三百戸、 外城の外側に庶民四百戸、合計八百戸の勢力を収容できる規模である。 それぞれの住宅の周りは木の柵で囲む簡単な造り、城壁の入り口には門楼があり、城内に井戸が四五箇所あった。 建物をすべて瓦屋根とするには、まだ力不足だったと見え、重要な建物以外は藁葺きだった。 周りを険しい山と河に囲まれた高台の城は、 敵多く、味方少ないヌルハチ郎党にとっては、... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語28、フィアラ城主に     
2018-12-04 23:48:54


ヌルハチがそんな刺客の襲撃からようやく解放されたのは、 三年後に自分の城を持つようになってからである。 それがフィアラ(費阿拉)城だ。 万暦十一年にわずか十三人の仲間と武装蜂起してから四年後の月日が流れていた。 丸裸の何ら防備のない場所に住むことは、いつ何時敵に襲われるやわからぬみじめな状態である。 ヌルハチ本人だけでなく、手下や女子供老人らにとっても寝覚めのよい環境とはいえない。 烏合の衆だから頭目一人を殺したら、総崩れになるだろうと思われているうちは、 ヌルハチ本人だけをピンポイントで暗殺しに来て、周囲は他人事でも済む。 しかしそのうちその集団そのものに付加価値を評価されるようになれば、それだけでは済まぬ。 頭目を殺したところでその集団の危険性を取り除くことができないとなれば、 大規模な兵力を用いての襲撃が有り得る。 そうなれば、ヌルハチがい... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語27、だめ押しの刺客     
2018-12-01 23:48:54


だめ押しのさらなる刺客襲撃は、万暦十二年(一五八四)五月である。 「太祖(ヌルハチ)が眠りから覚めると、婢女が寝ずに灯りをつけていたが、  突然燃えたかと思うと、突然消えた」。 ヌルハチはこれを見ていぶかり、起きて巡回したところ、 賊がいることに気がつき、殴って気絶させてから縛り上げたという。 そこに兄弟、家奴、親族がすべて集まってきて、 殴っても何の役にも立たないから殺してしまった方がいい、と口々にいう。 そこでヌルハチは再び皆を説得する。 もし殺してしまえば、その主人が殺人の報復を大義名分に掲げ、兵を出し、我らの食糧を略奪するだろう。 食糧を奪われてしまったら、皆が食べるものがなくなり、 皆が散り散りにならずにはおられなくなるだろう。 散り散りになれば、孤立してしまう。 そうすれば彼らは必ずやそれに乗じて攻め入ってくるだろう。 我らには弓矢も機械も足... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語26、蜂起して一年後も     
2018-11-27 13:36:50


ところで、ここで初めて犬以外の家畜が登場する。 牛の財産があって良かった、と妙なことで喜んでいる場合ではないが。。。笑 この事件は、蜂起してからすでに一年近くが立ち、 同盟者らとともにトゥルン城を筆頭にサルフ(薩爾滸)城、チャオジャ(兆嘉)城を襲撃した後であり、 そのために戦利品なども少なからずあったと想像できる。   ここには主人ヌルハチと呼吸の合ったラハンなる手勢が登場するが、 その他には身の回りをしっかり警備してくれる勢力はまだあまりなさそうである。 いれば、自分がわざわざ妻の影に隠れ、刀かまえ、弓背負うてまで奮闘せずともよい。   知らない者同士に信頼関係が築かれるまでには、どうしても月日の経過が必要となる。 幾度かの戦争で捕虜をいくらか引っ張ってきたとしても、親衛隊にするほど信頼できるものではない。 逆に寝首をかかれるのが落ちである。 一年足らずに... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語25、再び刺客     
2018-11-24 13:36:50


刺客が襲ったのは、一度だけではない。 さらなる襲撃の経緯が『満州実録』に載っている。 万暦十二年(一五八四)四月、 「太祖(ヌルハチ)が夜半まで寝ていると、門の外に人の足音が聞こえた。  そこで自らは刀を持ち、弓を背負い、子供たちを隠し場所に隠し、妻にわざと厠に行くように指示した。  太祖はそのすぐ後ろに従い、後ろに体を隠し、煙突の影に身を潜めた。  その後に部屋に戻ると、夜の闇に紛れ、きらりと光るものがあったので、  賊が近いと知り、背中から斬り付けて捕まえ、家人に縛るように命じた。  家人ラハン(洛漢)は、縛って何になります、殺してしまったほうがいい、という。    しかし太祖は心中考えた。  賊には必ず主がいる。  殺してしまえば、その主が殺人を大義名分に掲げ、兵を向けて来るに違いない。  自らの兵が少なく、敵が多いことを考えると、得策ではないと踏み、わざ... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語24、勃興期の詳細は不明     
2018-11-20 13:36:50


この時期、周囲がヌルハチをどう見ていたか、ということがわかる。 ヌルハチに実際の兵力としての裏づけはまだないが、 その将来性に危険を感じるほどには評判は広がっているという過渡期に当たったようだ。 勃興期にある、台頭途上の勢力が既存勢力に叩かれるのは、 現代の国際情勢でも多くの例を挙げることができるだろう。 ある程度の勢力まで育ってしまうと、周りもあきらめるが、 まだ芽を摘める段階にしかないと判断すれば、容赦なくぶったたく。 ヌルハチは、女真の勢力図の中でそんな踏ん張り時に差しかかっていた。 ヌルハチ勃興の初期のころの様子は、おぼろげながらしかわからないのが実情である。 当時はまさか彼が中国全土を支配する王朝の創始者になろうなどとは、 だれも想像だにしなかったのだから、記録が少ないのも当然である。 その断片の拾いながら、当時の情勢を分析していくしかない... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語23、ヌルハチの手勢まだわずか     
2018-11-17 13:36:50


「賊はその勇猛なる勢いに縮み上がり、皆遁走す。  この時、部落のパハイ(?海)が窓の下で寝ていたが、賊に刺し殺された」。 文中の「部落」は、同文の満州語版では、「ボウイ・ニヤルマ」つまりは家奴と書かれている。 この単語が後には短縮されて「包衣(ボウイ)」という八旗の中の特殊な集団をあらわす言葉となる。 「家内奴隷」として、対外的に権力を振るう集団となるのである。 この刺客到来のごく短い文章からは、当時のヌルハチの境遇がいくらか想像できる。 ヌルハチが父親からほとんど身一つで追い出されたことは、すでに述べたとおりだが、 確かにこの文章を見ると、財産の目安となる「アハ・ウルハ(奴隷・家畜)」は、 犬一匹と奴隷一人しか登場しない。 奴隷が多くいたなら、ヌルハチが自ら飛び出して賊に対応しなくてもよいわけで、 どうやら奴隷は一人ではないにしろ、せいぜい数人しかいなかったらしい。... [続きを読む]
 
  マンジュの森ーーヌルハチの家族の物語22、ヌルハチ、刺客に襲われる     
2018-11-14 13:36:50


蜂起後のヌルハチは、幾度も刺客に襲われる。 相手がニカンワイランなのか、明なのかはわからないが、 とにかくまだ勢力が弱いうちにつぶしておかねばならぬ、と思っていたようである。 その様子が『満州実録』に生き生きと描かれている。 『満州実録』巻一の漢文体には万暦十一年(一五八三)九月、 「賊は夜の闇に乗じて、太祖(ヌルハチ)の住宅の柵の木を抜いて潜入した」 からその日の夜のことを描写し始める。 ヌルハチが当時住んでいた屋敷の周りは、木の柵で囲まれていた様子がわかる。 それが当時の典型的な女真人の住まいでもあるのだろう。 「この時、ユグハ(湯古哈)なる名の犬が辺りを見回して、驚いたように鋭く吼えた」。 狩りで生活の糧を得ている女真人にとって、犬は欠かせない家畜だとわかる。 ヌルハチの愛犬ユグハはこの日も外で番犬としての役割をしっかり果たしたようである。 「太祖は... [続きを読む]
 
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